僕がドレッドヘアーを切った理由 (ノンフィクション) ※文章長いっす。 | LOOP BLOG
毎度!! SLD Entertainment. Inc / LOOPプロデューサー高橋マシです。
本日は僕がブログを担当します!!
これまで音楽系のお話が多かったですが、今日はちょっと違った角度のお話。

ズバリッ!!

こちらっ!!


僕がドレッドヘアーをやめた理由!!
(ノンフィクション)



はい。そうです。そうなんです。
今や『オデコの周りがマイノリティー!! 』等言って、坊主 aka ほぼスキンヘッドを売りにして
飯を食っているわたくし高橋 マシですが、実は約10年前は、ドレッドヘアだったんですね!!

(ね。ハゲてきたから、それをごまかす為に、エブリディ坊主にしている訳では無いです。
髪の毛は生えます(一定まで。)。生えるんだけど、坊主にしているというポリシーです。)

懐かしい写真を自宅で発見しましたので、『僕がドレッドヘアーをやめた理由!!』
をカミングアウトします。


それがこちらっ!!

ドンッ!!




約13年前。20歳の頃かな。とにかく若い(笑)
隣にいるのは、SLDのデザイン担当岡村 aka オカメラ(19歳)。
2人ともロンゲでした。

今思えば大変ありがたい事なんだけど、僕は第1回目の『朝霧JAM - It's a beautiful day』
(日本が世界に誇るFES『FUJI ROCK』をオーガナイズするSmashさんが行っている別ブランドのFES。)
に参加したんですよね。



その時に、イギリスの音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアの
エイドリアン・シャーウッド(Adrian Sherwood)が来日していて、当時日本NO1 DUB BANDの
DRY&HEAVY(ドライ・アンド・ヘヴィ)とセッションしてたんですよね。
そこで、REGGAE & DUBの素晴らしさに完全にやられてしまい、まずは格好からと言う事で
ドレッドにしたんです。(当時のDRY&HEAVYのリクルマイちゃんがかなりロングなドレッドでかなりCUTEでした♥)



まあ、ドレッドヘアーをやった事ある方はご存知だけど、ケアが大変なんですよね。
でも僕は正直ゲットー育ちだったので(これも後日ブログで語ります。)
髪を洗わなくても当時は全く気になりませんでしたな。

で、そんなこんなで約半年間、ドレッドヘアーを続けておりました。



そんな今から約13年前。2001年のある日の事です。

僕の父方のお母さん、僕のおばあちゃんですね。
そのおばあちゃんが、病気になってしまったんです。
病気で身体が悪くなると、辛いでしょうね。自然と会話や笑顔が無くなってしまって、
身内のコミュニケーションですら、ほとんど笑顔が無くなってしまってたんですね。。。。。。
また同時に、笑顔を見せて来る事はほとんど無くなってしまったそうです。。。。。

そんな時に、たまたま僕が地元足利へ帰る事がありました。
かなりの奇抜なドレッドヘアーですから、栃木のカルチャーでは、結構珍しい髪型ですよね。
(街を歩いていても、ほぼ100%の人が振り返ります。)
そんな髪型をして、おばあちゃんに会いに行ったもんだから、おばあちゃんがこう言ったんです。

『何だあ~。正彦、その髪はあ~(笑)』

(笑)

病気で一切の笑顔を失ったおばあちゃんが、笑ったんです。
笑ったんですよね。

それを見た僕のお父さんや、お母さんは、
『奇跡だ!!!』
と言わんばかりに、僕にこう言ってきました。

『正彦。おばあちゃんはな。身体を壊してから、本当に笑顔を見せてくれなかった。
いつぶりかは分からないけど、おばあちゃんが笑顔を見せてくれた事は、本当に久々だよ。』



僕はただ、Adrian Sherwood、DRY&HEAVYに影響をされて、ドレッドにしてただけなのに、
これで笑顔が見れたんだから『何にせよドレッドにしていて良かったな~』
と思ってました。

それから約3ヶ月。

おばあちゃんは亡くなりました。

その報告を受けたのは確か夜中の24時頃。翌日にお通夜との事だったので、
荷物をまとめ始発で帰省しよう。。。。

。。しかし。。。。

。。ドレッドだ。


葬儀の喪主は僕の父になります。
一応自営業なので、父親の会社関係の取引先の方や、
様々な方が葬儀には集まります。

流石に田舎なので、このドレッドヘアーでは、善くも悪くもきっとかなり目立ってしまう。
親父に恥をかかせる訳にはいかない。。。

そして決めました。

当時レギュラーパーティーをやっていたCLUB モジュールの店長に電話し、
『確かモジュールってバリカンありましたよね??』
(※なぜか当時のクラブにはバリカンがあったんですよね。)

店長『おう!! あるよ!! 』




事情を説明し、朝五時の断髪式。
モジュールスタッフの皆が、1本ずつハサミでカットしていく。

最後にバリカンで坊主にし、洗面所でママレモンで洗浄。

ドレッドの束を持ち、地元へ始発で向かいました。

そしてお通夜、葬儀を終え、最後のお別れ、『火葬』の時。

棺桶の中に、たくさんのお花や、おばあちゃんの思い出の写真や、
大切にしていたものを入れました。

その時ふとひらめいたんです。

僕は最後におばあちゃんが笑ってくれた
自分の『ドレッドヘアー』の束を棺桶に入れました。

そしておばあちゃんと共に天国へ。。。



それが僕がドレッドを切った理由です。

それ以来約13年。ずっと坊主ですね。特にこれから伸ばす予定もありませんし、
自然にそうしております。

来月2/8(土)には、そんなおばあちゃんの13回忌。
おばあちゃんに、久々に会いに行こうと思います。

SLD Entertainment. Inc 高橋マシ