赤いシートの車いす #13-7 | けんた社長のひとりごと(ALS患者の日記)

けんた社長のひとりごと(ALS患者の日記)

2019年3月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の確定診断。それからいろいろありました。これまでのこと。これからのこと。今起きてること。中年おじさんが話します。

 

  赤いシートの車いす #13-7

ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのが2019年3月、それから約4年、人生は大きく変わりました。生活のすべてがベットの上になりました。

先日、妻から、病気になってはじめて購入した、車いすを処分したいと言われました。

はじめて車いすを使うようになったのは、2019年12月でした。それまでは、杖を使ってぎこちなくも自力で歩いていましたが、病気の進行とともに歩ける距離が短くなり、足が鉛のように重く感じるようになりました。

その様な状態になってきたので、車いすを用意することになりました。公共の貸出制度を利用すれば借りられましたが、地味で暗い色の車いすに抵抗感があり、生意気ながら自分で用意しようということになりました。

杖の時もそうだったんですが、病人だからって落ち着いた色や柄の物を使う必要はなく、むしろ少しぐらい明るく、派手くらいの方が気分が落ち込まず、元気な感じになれるんじゃないかと勝手に思っています。だから、パジャマなど派手とは言いませんが明るい、色柄になっていると思います。

ということもあってはじめて用意した車いすは、自走・介助兼用の折りたたみ式車いすでシートの背もたれ、座面、フットレストが黒と鮮やかな赤のカラーのものでした。時間をかけて悩んで選んだこだわりのものです。ド派手とまではいかないもの、病院とかで間違えて持っていかれるようなことはない感じのカラーですね。

 

その車いすも、病気の進行で、上肢が動かなくなってきて、車いすを上手く動かすことが出来ず、身体の状態に合わなくなってしまいました。実働は二年にも満たなかったです。それまでの間、まだまだ出かけることができる身体の状態で、この赤いシートの車いすで、泊りで旅行に行ったり、新幹線や在来線の電車に乗って出かけたりもしました。もちろん、それ以外にも病院、商業施設、会社etc。

だから愛着がある車いすなんです。

 

この車いすのあとは、自走式の電動車椅子を二台乗り、現在の介助式車いすになっています。

病気の進行においては、下肢はもちろんのこと、体幹や首、手指などの状態も車椅子の乗車姿勢や操作に影響がありま。結局は手が動かなくなり、自走式電動車椅子の操作も出来なくなりました。

現在とその前の車いすはチルト機能、リクライニング機能の付いた車椅子にしてなんとか乗っています。勿論二台目以降はレンタルにしています。ここまで頻繫に乗り換える必要になるとは思いませんでした。

 

妻から言われた初代の車いすの「赤い車いす」処分について。

 

再び乗ることの出来る体になるわけでもない。

 

折りたためるとはいえ、決して小さなものではないので邪魔にはなります。

だから妻の言い分も否定できないですね。

 

とは言え人生50数年生きていれば、手放すことにためらいのある物ってありますよね。最近ではこれがそのうちの一つなのかもしれません。

病気の自分を支えてくれた器具装置。

 

何だかこれを処分すると人生のゴールに近づく感じがするんですね。(大袈裟かもしれませんが)

 

ALSになって病気が進行したことで、思い、感じたことです。

 

 

(このブログについては、自分の対応できる範囲の中で書かせていただいております。そのため、自分を含む個人、法人、団体、組織、などの特定につながるような情報は記載しておりません。ご了承ください。そのため、わかりにくい内容になる場合があります。)