命の選択 #11-15
2019年3月、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断された。そこから3年半が経過、病気の進行により徐々に体は動かなくなりました。先日、この病気になってからの約3年半を振り返る機会がありました。それと同時にALSという病気について新ためて考えてみました。
この病気って本当に厳しいと思うんです。
有効な治療法はなし。すぐ近くに人生のゴールを設定される。
身体のほとんどが動かなくなる。おでこにかかった髪の毛一本、払いのけれない。
目の前の些細なことすらできない。
人が生きるために必要なことも自身で全く出来なくなる。人の介助、機器の利用で生きている。
飲食する事、呼吸する事、喋る事、自身で排泄する事、自身で入浴する事、服を着ること
etc
以前、3年ぐらい前だった、大学病院の神経内科のALS外来の専門医の先生にに言われたことが思い出された。「病気が進行すると生活の全てを介護用ベットの上で過ごすことになる。」
今、それが現実になっている。
そしてこの病気の患者は呼吸筋障害によるが呼吸麻痺によって人生のゴールを迎えるケースが多い、と話された国立病院の専門医の先生の話を思い出した。呼吸筋障害については、対処として人工呼吸器を装着するか否か、気管切開するか否かの判断によって、ゴールまでの時間が変わること。
よく末期のがん患者さんの話をされる方がいますが少し違うと思うんです。ALS患者は気管切開をして人工呼吸器を装着すれば、生きることが出来る。
そして非常に不自由な身体で生き続けるか生死の選択をしなければならない時がくる。
非常に不自由な生活だけど生き続けるか、すぐそこにある人生のゴールを駆け抜けるか、「命の選択」をしなければならない。本人、家族、主治医にとってはあまりにも厳しい現実。
人間の尊厳、生命倫理、これらとどう向き合っていくのか。
自分がした「命の選択」は、気管切開はしない、人間らしくありたい。
3年ぐらい前に判断した。家族と向き合い、話もした。そしてリビングウィルも作成した。時間は経過したけど、今も自分の考えに変化はない。人生のゴールを駆け抜ける日はいつかわかわないけど、その日まで自分らしく生きるだけ。
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