
この本の中で、藤田先生が言っている言葉で忘れないように付箋メモを貼っている言葉があります。
季語にふりまわされるな
作者が季語を使いこなすようになれ
この言葉は、深く感銘しました。
僕もアホじゃいなんでね、日本語の意味はすぐに理解できるんですよ🎵
これでもね…
ただ俳句を続けながら、何度も何度も壁にぶち当たって苦しんでいると、ふとこの言葉の重みが解ってくるから
あら🎵不思議
そもそも、季語にふりまわされるとは?
その季語で詠もうとして、季語に体験を寄せようとする行為のことだと、僕は思います。
もちろん季語が解らないと、正確な取り合わせが出来ないので、季語をよく吟味する(これは高浜虚子の言葉の引用として著書に出てきた表現です)ことは大事。
だがしかし!季語に体験を寄せようとすると俳句が薄っぺらい句になってしまう。
季語に合うように、自分の体験を、感動の中心を季語のためにずらしてしまう事を言っておられるのかなぁと僕は思えてならないのです。
では一方の季語を使いこなすとは?
文脈としては、その逆の話になりますから
自分の体験、感動の中心をぶらさずに、それに合う季語の使い方、選び方をすると言う意味になろうかと思います。
感動の中心の光景+季語=光景の相乗効果
みたいな俳句が詠めるようになれば…良いのだけれど…
頭では解っているのに、やろうとして俳句をこねくるうちに、夢中になってヘンテコな俳句なってばかりだけど、でも季語の使いこなし術ができるようになれば、入選くらいまでは辿り着けるハズ!なんだよねぇ~
季語の足し算で完成形になるのならば、感動の中心は少し引いて描くくらいで、ちょうど良いと言うのも、こんな所から少し理解は追い付いてきてるのよ…
たぶん (笑)
うまく例えられないけれど、ゲームで言うところの、ドラクエでレベルが上がると、新しい呪文が使えるように、レベルを上げて使える季語を増やすみたいな感じで、知っている季語を増やしていきなさいと、藤田湘子先生は仰られていました。
日々の積み重ねで、使える季語を増やそうというお話でした。
2026年4月26日 我ふたり