
一句目
行く春や富士を語りつみやげ菓子
二句目
ゆくバスや富士いくたびか春惜しむ
俳句なのでまず、出来を左右する季語について考えてみることにしました。
「行く春」「春惜しむ」は、どちらも春の終わりの頃を特段の想いをもって詠嘆する気持ちを表す季語です。
あー、もう春が終わってしまうと、春との別れを惜しむ気持ちなのです。
さてさて、では一句目の句をみてみると…
行く春や→春が終わってしまうなぁ
富士を語りつ→富士の思い出を語りながら
みやげ菓子→買ったみやげ菓子を食べた
中七~下五にかけては、ちゃんと映像があるようにも思える。
だとすれば、やっぱり季語に無理があると考えるのが妥当かな。
考えてみると、春じゃなくてもよい気がするし…
①この光景に合う季語を探すか
②あるいはこの季語のまま別な光景を描くか
二句目の方はと言うと…
ゆくバスに→(どこにゆくのかは定かではないが)走っているバスに
富士いくたびか→富士山が何度も
春惜しむ→去っていく春が惜しまれることよ
ひとつは、ゆくバスやと言う言葉が少し光景が曖昧でモヤっとする
もうひとつは中七も、いくたびかと言うものの、何がいくたびなのか?がモヤモヤしてしまう。
言いたいことは何となく分かるけれど、やっぱり俳句としては光景が描き切れていないと感じた。
ではなぜ並選になったのか?
恐らくだけど、ボツにするには言おうとした光景は良かったのではないか?
と考えてみました。
自分で自分の句の良いところを言うのは、なんと恥ずかしいことかとも思うけれど、せめて自分の句を自分が愛せなくていったい誰が愛してくれるのか?
実をいうと、思い入れの強いのは二句目の句の方。
バスの窓に顔を出す富士山が遠ざかってゆくという光景は個人的に気に入っているので、なんとしても俳句にしたいです。
しかし季語についてはやっぱり、他の候補を検討するべきなのかと…
遠ざかっていく富士山を惜しむと、春惜しむは残念ながら響き合うというよりは因果関係が近すぎて説明的に響いた。
つまり
① 光景の描き方は再考の余地あり
② 季語はこの内容でいくならば他の季語を検討する
あたりが俳句のリニューアルのポイントになろうかと。
どちらか一句を改めて俳句に仕立て直して後日推敲句を投句しようと思います。
2026年4月12日 我ふたり