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いらすとやホームページ より 画像引用
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僕は俳句に興味があるおじさんだ。
でも、技量は全くないし、どが付くほどの素人だ。
それでも、ここ一、二年くらいは、自分でも俳句を作ってみたくなり、素人なりに俳句を作るようになった。
そもそも俳句に興味を持つようになった切っ掛けは、TBSでやっているあの有名な番組の影響…
そう『プレバト』だ。
『プレバト』の俳句コーナーで添削指導をしているのが、辛口添削で有名な夏井いつき先生なのだけど、歯に衣着せぬ辛口添削が、良い意味での番組の味を醸し出している。
もっとも夏井先生はYouTubeにも、ご自身のチャンネルを持っていて、素顔に近いのはそちらの姿であると僕は思ってるのだけど、プレバトの辛口添削は、番組の味付け=多少の演出であると僕は思う。
YouTubeでの夏井先生は、柔和な印象で、とても梅沢富美男さんと侃々諤々なバトルを繰り広げるとは思えないくらい気さくな方のようにも思えるし、若い世代の子達を見つめる眼差しにも、とても優しいものを感じる。
まぁ、その『プレバト』を切っ掛けにして、NHK俳句も観るようになって、様々な俳人と呼ばれる人をTVを通じて知ることになった。
俳諧は、老若男女問わず昔から様々な人が活躍してきた、もっとも現代らしいDiversity(ダイバーシティ)な世界だと僕は思う。
だからこそ、現代においても男性、女性関係なく忌憚なく意見を交わせるのが、この世界のよい所である。
しかし、男女平等になると、どういうわけか女性の方が意見をハッキリと表明し割と白黒キッパリしているのに対して、男性の方は繊細というか相手の表情を探りつつ意見を言うようになるのは不思議である。
なんでこんな事を書くのかと言うと、女性俳人は、割と手厳しい方が多くて、みんなこんなにキツいの💦って、素人なりに尻込みしてしまう程、ハッキリ良いものは良い、悪いものは悪いと言ってのけるのだが…
夏井先生の他にも、おっかなそうな女性俳人を見っけて、あれ?
夏井先生のは演出でなくて、やっぱり素の手厳しさなのかな…💦とも、思えるのだ。
で、その、もう一人のおっかない女性俳人が、櫂未知子先生なのだ。
以前、NHK俳句の中で俳優の田中要次さんに、けっこう愛のある熱血指導と言うか、手厳しい指導をされていて、うわぁ~おっかねぇなぁ、と思いながら番組を観ていて、夏井先生に通じる何かを感じてしまったのだ。
俳句は楽しむものではあるけれど、それでも文芸なので、技量を磨く上でのルールの厳格さや、洗練されたものへのリスペクトに対しては、人一倍に小うるさい(実は情熱の熱量が高いと表現すべきなのだが)のだ。
文芸は辞書をググったら、言語による芸術とあった。
両者は、俳句に対する情熱が半端ないからこそ、愛してやまないからこそ、時に厳しく、時に優しい眼差しで指導をされているのだと思う。
俳句はかねてから、定型にこだわる人と自由に楽しむ人と、論争が絶えない文学なのだが、あの短い韻律だからこそ、ルールを無視して自由にしてしまうと俳句が俳句で無くなってしまうという危険性も孕んでいる文学なのだ。
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ちょっと話が、とっ散らかってしまったけど、櫂先生に対して見方が変わった瞬間と言うのが実はある。
それは、櫂未知子先生の代表句に出会った時に訪れたのだ。
ちょっと先生の代表句を引用させて頂きます。
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白梅や父に未完の日暮あり 櫂未知子
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僕はこの俳句を目にして、ああ~素敵な俳句だなぁと感動しました。
で、作者を見て二度ビックリ!
え~💦
あの辛口先生の俳句だったの( ̄□ ̄;)!!💦
愛がなければ、熱量がなければ、こういう俳句は詠めまい。
僕は、ど素人なので、俳句の読みが正しいかわからないけど、俳句の味わい方は人それぞれでよいと考えているので、僭越ながら感じたことを書き記して、今日の日記を終えたい。
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白梅が見事に咲いています。
父に未だに完結しない日暮れがあります。
日暮れとは、日が暮れること。
日暮れは生きていれば、当たり前に完結するのだが、それが未だに完結しないとは、つまりそう言う悲しい事があったと捉える事が出来る。
白梅を見る度に、父を想います。
と言うのだから、白梅は父のオマージュなのだろうか…
梅にも白梅、紅梅とあるが、あえて白梅やと詠嘆したのならば、やはり白梅は老いて白髪の父の姿を投影しているのか…
いや待てよ、父が好きだった庭の白梅が今年も咲いたよと言うことなのか…
いやいや、父の未完の日暮れに咲いていたのが白梅なのか…
うーん🤔
何度読んでも飽きない句であるし、僕の心を鷲掴みにして未だに完結することが出来ないでいる。
未完とは、ずっと頭から離れないと言うニュアンスを持つ。
父への想いは、ずっと衰えず、かなり時間を経た今でも、ありありとその姿を想うことが出来る。
父への愛情を感じずには居られない、とても優しくて、熱いハートの俳句に感じた。
そして、この俳句こそが、櫂美知子先生の人間像を象徴しているかのような、洗練された俳句を志す崇高な姿勢を感じさせる名句だと思うのだ。
僕は、この句を忘れられないし、きっと何年経っても、それこそ死ぬまで俳句の読みが終わらない未完の一句となるであろう事は確実なのだ。