
本日はテーマ6️⃣の俳句雑談で、書きたいと思います。
お題は精神世界のお話と俳句的視点みたいな話です。

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精神世界の話って、眉唾っていうのかな…
なんとなく胡散臭い話ばかりってイメージあると思うんです。
ま、平たく言えば、よく分からない話ばかりで怪しく感じるってことなんだろうね。
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で、精神世界の話のどの辺が俳句的なのよって話だけど、今日は長いよ日記。
俳句では客観写生が大事と言う
でも、人間って圧倒的に主観で生きている存在
なので、矛盾してない???
って思うときがあるわけ。
俳句が下手だから言い訳として言うのは宜しくない!とお叱りを受けるかもしれないけれど、そう言う意図ではありません。
俳句をやり始めたら、こう言う疑問に行き当たったって感じているということ。
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俳句の客観写生の方はよく理解できるとして。
人間が主観で生きている存在とはの方を説明しないとピンとこないと思うので、先ずは、こちらの話を。
私たちがいま生きている世界、国、社会、コミュニティ、会社や家族、同僚、友人など認識しているあらゆる事象は、自分と言う意識が存在するから、存在している。
そう言う話を聞いたことありませんか?
自分の意識が認識している世界が=この世みたいな、お話をどこかで一度は耳にしたこともあると思います。
分かりそうで、意味不明な難解な話。
(^_^ゞ
色んな例があるのだけれど、思いっきり極端な例を挙げるとすると…
うーん。そうだなぁ…🤔
例えば宇宙の端っこの話なんて、どうでしょう?
僕らは宇宙の端っこが、どうなっているのか?
理解していそうで、分からない、どうなっているのか学者の先生の話を聞いてもピンと来ない。
宇宙の端っこは、無いとは言い切れないけれど、あるとも信じられない。
私たちが誰も認識していないので、限りなく無いに等しい世界…
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じゃ、次の例。
通勤とか、通学したことある人がほとんどとだと思います。
自宅の最寄駅A→通過駅B→目的駅C
と辿る課程で、毎日自宅の最寄駅から→会社や学校のあるC駅へ通っています。
A駅周辺と、C駅周辺は、普段から関わりがあるからよく知っていますが、通過駅のB駅は近いはずなのに、どんな施設があって、最近どんな変化があったのか、意外と知らないものです。
いやいやB駅知ってますよ、だってアレでしょ、コレでしょって施設がスラスラ言えても…
ちょっと待ってね、そのお店はコロナで閉店しちゃって、もう無いんだよ、みたいな施設があるかもしれません。
つまり自分の意識にアップデートが日々重なってこの世界は構成され続けているから、自分の意識がB駅から遠ざかってしまうと更新されなくなる。
知っているのは過去のB駅であり、いまこの瞬間のB駅ではないのです。
たとえそれが、ほんの一時間ほど前であったとしても、私たちの意識に残っているのは一時間前のB駅の姿なのです。
それが例えば2026年5月23日午前5時
の光景で、その後にもしも、亡くなってしまったら、B駅の意識は永遠に2026年5月23日午前5時で止まったまま記憶として残って、アップデートは出来ないのです。
なぜなら肉体の脳と言うアップデートツールを失ってしまうからですね。
だから
自分の意識が失われる=世界が無いのと同じになる
と言うことなのかなぁ…
なんて理解してみたりするのよ。
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もう一つだけ、例を挙げさせて下さい。
今度は…
毎日会う人なんて、どうでしょう?
会社勤めの人は会社の同僚、学校なら友達、入院してる人なら同室の方々、あるいは旦那さんや家族ですね。
さっきの駅の話のパターンに当てはめると、分かりやすくなってきます。
毎日会う同僚。
でも僕の記憶の同僚はまだ昨日のままで、明日会うとアップデートが来て情報が更新されます。
もしかしたら、明日は風邪でお休みかもしれません…
ごめんなさい、あくまでも例えばの話です。
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こうやって考えていくと、人間の世界の認識と言うのは、瞬間、瞬間の積み重ねで構成されているのだなぁと、改めて気付かされます。
意識を失って、更新出来なくなると世界があるんだけれど、無い。
あるいは、無いに等しいと言うのは、こう言うことなのかも知れません。
確かに言えることは、人間の意識はいま、この瞬間にしか存在していないってことです。
この話は拡げようと思えば、おもいっきりスピ系の引き寄せの法則のお話が出来るのだけれど…
そう言う日記じゃなくて、今日は俳句日記だからこの辺にしておきます。
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やっと、前段の話が終わりました。
もう感の良い方は察しがついたと思いますが、ここから俳句の話に繋がります。
俳句は瞬間を切り取り文字にして、他人と世界観を共有する文芸ですよね。
よく、感動の瞬間を切り取って俳句にして下さいなんてアドバイスを耳にします。
また、自分だけの感動を俳句にしましょうなんて、よく夏井先生もテレビでコメントしているのを聞きます。
ずっと自分だけの体験なんて…
どう詠んだら良いのか?分からないよ💦
と悩んでいましたが、最近、こうしたことを考えながら少しずつ理解が追いついてきました。
なるほど~🎵
つまり、結論はこうです!
私たちは日々、各々が、ささやかな体験を重ねて生きています。
例えばそれが、ほんの数キロ離れたとなり町のことであっても、神様ではないから全てを把握して生きられない。
だからこそ、その時、その瞬間、その人が体験した、ささやかな感動を俳句にして教えてよ、みんなで共有して楽しもう🎵と言うのが俳句の醍醐味なのだと、一年も掛かって、ようやくその意味が分かって来た気がします (^_^ゞ (笑)
で、俳句を読む=鑑賞する側の心理として
せっかく面白い題材なのに、光景が曖昧で分かりにくいと、なんだよぉ、良いところなのに、しっかり俳句にせぇ~
と言うのが、俳句でお叱りを受ける、光景がキチンと描けていないと言うヤツなのでは?と思っております。
きっとテンション高い俳人の方は、うわ面白いって思っても、光景が描き切れてないと、もうせっかくワクワクしてたのに、ガンバッテね~👍
みたいなテンションなんだろうなぁ…
具体的に教えてよ=光景を描く
なのでね、そこを詠まないで意見を述べたり、お気持ちを述べると、そうじゃなくて、どんな様子かの方を教えて欲しかったわぁ~ん😭と、ガッカリするのだと分かりました💡❗
俳句=具体的な光景+季語
お気持ちは描かなくていい。
それは、こっちで想像するから(笑)
具体的な光景=客観的視点の景色
それが俳句を詠むルール、鑑賞する人へ想像の余地は残してあげると言う優しさなのだと、そう思うようになりました。
長々した日記でごめんなさい
(^_^ゞ
2026年5月23日 我ふたり