本日はテーマ5️⃣の俳句鑑賞の回です。

昨日紹介した季語「二日灸」の例句を眺めていたら、正岡子規の俳句に出会った。


特別に想い入れのある俳句では無いのだけれど、せっかく「二日灸」を紹介したのならば、この際だから俳句の鑑賞もしてみたいと思ったのだ…


死はいやぞ

 其のきさらぎの二日灸

             正岡子規


読み


しはいやぞ

そのきさらぎのふつかきゅう


季語


「きさらぎ」とあるけれど、この句の場合は「二日灸」だという事です。


正岡子規の俳句を引用させて頂きました。


この句は、1891年(明治24年)正岡子規が24歳の頃に詠んだ句だという。


背景が気になってネットで検索してみると、その前年である明治23年に、正岡子規が結核によって初めて喀血したと記述があった。


死に対して漠然と不安を抱き始めながらも、まだ句の雰囲気には少し俳諧味を感じさせるものがあり、冷静に、でも何処となく不安を感じている心情が垣間見える一句に感じました。


僕がこの句を読んで意味が知りたくなったのは、中七の其のきさらぎのという部分が良く解らなかったからです。


実はこの句は本歌取りと言って、元の句があるのだと解説がありました。


西行法師の句


願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ


という和歌があって、其のきさらぎのはここから来ている表現だと言うことでした。


句意としては…


『西行法師は、春花の下で死にたいものだと和歌を詠んでいるけれど、自分(正岡)は死ぬのは嫌なので、二日灸を据えるとしよう』


という意味になるようです。


中七の其のきさらぎのは、西行法師の和歌にあるけれど、と言う意味に(僕は)捉えました。


いちばんに言いたいのは、上五でしっかり詠嘆している、死はいやぞがやっぱり本心なのよね。


そして下五の「二日灸」は、落語のオチのように働いているように僕には思える。


半分本気で灸を据えてはいるが、半分は本当に効くのだろうかと言う皮肉を僕は感じた次第です。


本当の正岡子規を僕は知らない、当たり前だけど。


僕の印象では、NHKドラマ「坂の上の雲」で正岡子規を演じた香川照之さんの正岡のイメージなのだけれど、あんな感じで、まだ気力も体力もあった若かりし頃の正岡子規は


「お~死ぬのは恐ろしい、だから俺は灸をちゃんと据えねばならんなぁ~」


と、周囲を心配させないように少し可笑しみを交えて言っていたに違いないのだ。


そんな日常の何気ないやり取りの言葉が、そのまま俳句になって、西行法師の和歌を本歌取りして実に巧く構成された句だなぁと感心してしまった。


西行法師は花の下で死にたいものだなどと言うが、俺は死ぬのがイヤだ。


ならばちゃんと灸をせねばなるまいと、家族を笑わせつつ、でも心の奥底で本当に死にたくないと、翳り始めた自分の人生の先に不安を覗かせた、実にセンシティブな一句だと感じた。


ドラマ「坂の上の雲」の香川照之さんの演技は鬼気迫るものがあって、本当に正岡子規とはこのような人物であったのではなかろうか…


と、多くの視聴者が錯覚するほどに見事な演技だったと僕は思います。


しかし寒に入ってから随分と寒いなぁ…


俺は風邪を引くのが怖い、そうだ!灸を据えて備えねばなるまい…

( ̄ ̄)ニヤリ✨


「二日灸」を僕は、そんな季語として理解してみました。


2026年1月6日  我ふたり


この俳句は正岡