ブログ内のまんが「This is a Pen.」、「This is a Pen.カレンダー 」の
画像を拡大して、いちいち画像拡大のページへ行く手間を省きました。
テーマも「This is a Pen.」、「This is a Pen.カレンダー 」に分離。
それぞれまとめ読みしやすくしました。
ひとつぜいたくしてやろう、と思った。
そのぜいたくとはなにか。
焼肉である。
それも、おうちで焼肉である。
そんなのちっともぜいたくじゃない、店に行け店にとおっしゃるあなた。そう、そこのあなたですよ。
そこのあなたに問いかけたい。焼肉屋、高いじゃないですか。それはもう、ひとつじゃなくてふたつですよ。ふたつぜいたくしてやろう、と思わなければムリですよ。
カルビ1皿380円とか630円とかするんですよ。しかもそれ1皿で満足する人はいないでしょう。
カルビ1皿だけさっと注文してさっと食べてさっと「お勘定」とか言ってる人がいたらカッコよすぎるでしょう?
きっとその人回転寿司でもさっとねぎとろ1皿取って(きっと注文すらしないね。廻ってるヤツ取るね)さっと食べてさっと「お勘定」とか言うね。
さらにファミリーレストランでもさっと「ドリンクバー」・・・違うな、ドリンクバーはカッコよくないな。ジンジャーエールとコーラまぜて「ジンジャーコーラー」とか「今日の気分のオリジナルカクテル」作ってたりしてカッコ悪いな。
で、焼肉屋なんですけど、なんだかんだ注文してビール飲んで、普段気にしてないくせに急に健康を意識したりして、「バランスを考えて焼き野菜必要だな」、なんて注文して、けっきょく野菜焦がして「こげた部分を食べると癌になるな」とか言いはじめてけっきょく食べなかったりして、まあとにかく5000円とかいっちゃうんですよ。
しかもですね、自分で焼くんですよ。セルフですよ。なのに5000円。これは高いと言わざるを得ないでしょう。
でも、ぜいたくしたいので、スーパーのパックのヤツじゃなくてお肉屋さんのガラスケースのヤツを買ってみることにした。
お肉屋さんでの買い物なんて小さいころコロッケ買って以来な気がする。
で、気軽にお肉屋さん行ってみたけど、これが予想に反して大変だった。まず、ガラスケースの前に辿り着けない。ルールがよくわからないんですよ。
一列に並んで順番に、とかじゃないんですよ。右から、左から後ろからどんどんおばちゃんたちが入ってくる。バスケットのゴール前のポジション争いのごとし、なんですよ。ぼーっと立ってたらいつのまにか自分の番だった、なんてことは絶対にない。肉が欲しい、と明らかな目的意識を持って行動しないと注文すらできません。食べれたら食べるわ、なんて言ってたらダメ、絶対!
だってまわりはプロ、プロの買い手たちなんですよ。であるからして、こりゃいかん、とがんばって前に行く。しかし、前に出ても、ああ、たくさんの商品があって、自分の目当ての焼き肉用の肉が見つけられない。ガラスケースが横に長すぎてやみくもに前に出ても商品を俯瞰できないんですよ。いま僕の目の前には鶏肉がある。左の方には豚。牛はそのはるか左に違いない。かすんで見えない。遠い、牛までの道が遠い。これが牛歩戦術なのか。
再度移動。ようやく牛の前に着く。焼肉用の肉が目にはいる。種類はたったの2種類。ああ、長かった。ここまで長かった。しかし、その時私は知る。これまではただの始まり、いや、始まってさえいなかったと。
2種類の焼き肉。ひとつは100g 680円。えっ 100g 680円 もすんの!? 焼肉屋の1人前より高いじゃないか? いやいや、これは上、我々市民が買うものじゃない方だから仕方ない。私のような下々の者が買う用にもうひとつが用意されてるはずに違いない。と、もうひとつに目をやる。「サービス品(ほらきた)、100g ・・・480円」えっ!?
頭の中で言葉がぐるぐる回転しだす。 僕の普段スーパーで買ってる豚肉細切れは 100g 98円とかだ。お牛様が豚より位が高い。お肉屋さんはスーパーよりいい肉を使っている(と、思う)。しかし、焼肉用などの下味をつけた肉は、そのままの肉(純肉とでも呼ぼうか)より価格が低くなりがち。だから高いとは思っていたけど・・・
脚はガクガクとふるえだし、呼吸もこころなしか荒くなる。後ろから、左斜め後ろから、右斜め後ろから プロの買い手たちの声が、僕の頭上を通り抜けていく。僕は透明人間だ。まるで僕なんかいないかのように、注文が飛び交い、店員は商品を包んでいく。僕はすんでのところで、よろめく足取りでその場を抜け出した。僕にいま必要なのは時間だ。落ち着いて、じっくり考え直すのだ、何が必要で、何が必要ないのか。
近所を軽く散歩しつつ、考えをまとめる。いや、答えはすでに出ている 「サービス品100g 480円」それしか選択はない。ただきっかけが、振り上げた手を振り下ろすきっかけがないだけだ。「ぜいたくだ、僕はぜいたくをしに来たんだ」小さく何度もつぶやく。 口に出すことで自分自身に言い聞かせているのだ。 背中は丸まっている。 頭は熱っぽく、意識はとぎれとぎれ。 目は虚空を睨みつけてさえいる。「ぜいたく」をする。なんと苦しく辛いことなんだ。 ぜいたくは自分への御褒美なんかじゃない。 試練。神が僕に与えた、いや。自分自身で自分自身に与えたこれは試練なのだ。
再び、ガラスケースの前へと歩を進める。いまとなってはどうやってそこへたどりついたのか記憶はかすれている。モーゼのごとく人波が自然と二つに分かれ、ガラスケースへと誘う道が自然と作られていた。
店員と目があう。でも僕はひるまない。だってもう注文は決まっているから。目を肉へ落とす。と再び頭の中心から大きな渦が巻き起こってくる。680円のはなんてキレイなんだ。肉はピンク色で、白い脂肪の線が網の目のごとくはいっている。質感も非常に柔らか。180度開脚もへっちゃらだ。その肉を黄土がかった茶色の半透明なタレがコーティングしている。ニラなのかねぎなのか、細い緑色の野菜がほどよい間隔でデコレーションされている。
対して480円、茶色い。
タレの色が、ではない。肉の色が茶色いのだ。そして脂肪の線がない。質感も硬そう、というか一体感がなく、ぼそぼそとした感じ。680円が一人の巨漢力士だとしたら、こちらは、帰宅部の小兵たちが組み体操でもした「一群」。しかも一番下のやつはすでに悲鳴をあげている。
いけない、肉を見た目で判断するのは良くない。付き合ってみたら意外といい子かもしれないじゃないか。それにほら、一番じゃなくても普段僕と付き合ってるスーパーのあの子より価格もかなり上なんだし。だいたい僕なんかからしたら声をかけるのもおこがましい存在なんだゼ。
このように、再び散歩の旅に出そうな自分を抑える言い訳を考えることによって、480円の方を注文することができた。
グラム数はそもそも100gがいかほどの量かピンとこなかったが、「100g」と注文するとお金を持ってない人と思われるのが嫌で、といって300gも頼むと480円×3=1440円もしてしまうわけで、「200g」購入。
僕は美味しい肉を買った喜びよりも、買ってしまった、と多少の後悔を引きずりつつガラスケースを後にした。
とその時、 脇のワゴンが目にはいった。
そこにはスーパーにあるのと同様のパックに入った「中落ちカルビ。180g 398円」がいた。初めて見るけど懐かしい、そんなヤツだった。ガラスケースに入れてもらえず、ひっそりとワゴンの中で誰かに見つけてもらえるのを待っている。今の自分には彼のそんな境遇に痛いほど共感できた。「よしよし、お前も寂しいのか? ん?」
そう言いつつも、しっかり商品を吟味する。「中落ち」、言葉の意味はわからないが、テレビの食事番組でマグロ食べる時によく出てくる単語だ。いいじゃない。それに「カルビ」という焼肉語がくっついている。いいじゃない、いいじゃない。
「君に先に 逢いたかった」そう言って僕は1パック購入した。
おうちに帰ってホットプレートをダンボール箱から取り出し、軽く洗い、電源を入れる。
高級肉100g 400円をさっと焼いて口にしてみた。
「・・・・」
いまいち・・・。見た目どおり一体感がなく、ぼそぼそしてるのに表面はぬめっとしてて、牛肉特有の臭いが強かった。
続いて「中落ちカルビ」を食べる。
こちらはおいしかった。脂が多すぎるほど多いが、白いごはんと組み合わせるのに調度よかった。
うーん、困った。同じ店なら高いもの程うまい、と思ってたけど、 赤味好きか脂身好きかと好みの問題もあるのか、そうとも限らないんですね。
やはり身分相応の値段の肉を食べるべきってことですかね。えっ、素直に焼き肉屋行けって?
そのぜいたくとはなにか。
焼肉である。
それも、おうちで焼肉である。
そんなのちっともぜいたくじゃない、店に行け店にとおっしゃるあなた。そう、そこのあなたですよ。
そこのあなたに問いかけたい。焼肉屋、高いじゃないですか。それはもう、ひとつじゃなくてふたつですよ。ふたつぜいたくしてやろう、と思わなければムリですよ。
カルビ1皿380円とか630円とかするんですよ。しかもそれ1皿で満足する人はいないでしょう。
カルビ1皿だけさっと注文してさっと食べてさっと「お勘定」とか言ってる人がいたらカッコよすぎるでしょう?
きっとその人回転寿司でもさっとねぎとろ1皿取って(きっと注文すらしないね。廻ってるヤツ取るね)さっと食べてさっと「お勘定」とか言うね。
さらにファミリーレストランでもさっと「ドリンクバー」・・・違うな、ドリンクバーはカッコよくないな。ジンジャーエールとコーラまぜて「ジンジャーコーラー」とか「今日の気分のオリジナルカクテル」作ってたりしてカッコ悪いな。
で、焼肉屋なんですけど、なんだかんだ注文してビール飲んで、普段気にしてないくせに急に健康を意識したりして、「バランスを考えて焼き野菜必要だな」、なんて注文して、けっきょく野菜焦がして「こげた部分を食べると癌になるな」とか言いはじめてけっきょく食べなかったりして、まあとにかく5000円とかいっちゃうんですよ。
しかもですね、自分で焼くんですよ。セルフですよ。なのに5000円。これは高いと言わざるを得ないでしょう。
でも、ぜいたくしたいので、スーパーのパックのヤツじゃなくてお肉屋さんのガラスケースのヤツを買ってみることにした。
お肉屋さんでの買い物なんて小さいころコロッケ買って以来な気がする。
で、気軽にお肉屋さん行ってみたけど、これが予想に反して大変だった。まず、ガラスケースの前に辿り着けない。ルールがよくわからないんですよ。
一列に並んで順番に、とかじゃないんですよ。右から、左から後ろからどんどんおばちゃんたちが入ってくる。バスケットのゴール前のポジション争いのごとし、なんですよ。ぼーっと立ってたらいつのまにか自分の番だった、なんてことは絶対にない。肉が欲しい、と明らかな目的意識を持って行動しないと注文すらできません。食べれたら食べるわ、なんて言ってたらダメ、絶対!
だってまわりはプロ、プロの買い手たちなんですよ。であるからして、こりゃいかん、とがんばって前に行く。しかし、前に出ても、ああ、たくさんの商品があって、自分の目当ての焼き肉用の肉が見つけられない。ガラスケースが横に長すぎてやみくもに前に出ても商品を俯瞰できないんですよ。いま僕の目の前には鶏肉がある。左の方には豚。牛はそのはるか左に違いない。かすんで見えない。遠い、牛までの道が遠い。これが牛歩戦術なのか。
再度移動。ようやく牛の前に着く。焼肉用の肉が目にはいる。種類はたったの2種類。ああ、長かった。ここまで長かった。しかし、その時私は知る。これまではただの始まり、いや、始まってさえいなかったと。
2種類の焼き肉。ひとつは100g 680円。えっ 100g 680円 もすんの!? 焼肉屋の1人前より高いじゃないか? いやいや、これは上、我々市民が買うものじゃない方だから仕方ない。私のような下々の者が買う用にもうひとつが用意されてるはずに違いない。と、もうひとつに目をやる。「サービス品(ほらきた)、100g ・・・480円」えっ!?
頭の中で言葉がぐるぐる回転しだす。 僕の普段スーパーで買ってる豚肉細切れは 100g 98円とかだ。お牛様が豚より位が高い。お肉屋さんはスーパーよりいい肉を使っている(と、思う)。しかし、焼肉用などの下味をつけた肉は、そのままの肉(純肉とでも呼ぼうか)より価格が低くなりがち。だから高いとは思っていたけど・・・
脚はガクガクとふるえだし、呼吸もこころなしか荒くなる。後ろから、左斜め後ろから、右斜め後ろから プロの買い手たちの声が、僕の頭上を通り抜けていく。僕は透明人間だ。まるで僕なんかいないかのように、注文が飛び交い、店員は商品を包んでいく。僕はすんでのところで、よろめく足取りでその場を抜け出した。僕にいま必要なのは時間だ。落ち着いて、じっくり考え直すのだ、何が必要で、何が必要ないのか。
近所を軽く散歩しつつ、考えをまとめる。いや、答えはすでに出ている 「サービス品100g 480円」それしか選択はない。ただきっかけが、振り上げた手を振り下ろすきっかけがないだけだ。「ぜいたくだ、僕はぜいたくをしに来たんだ」小さく何度もつぶやく。 口に出すことで自分自身に言い聞かせているのだ。 背中は丸まっている。 頭は熱っぽく、意識はとぎれとぎれ。 目は虚空を睨みつけてさえいる。「ぜいたく」をする。なんと苦しく辛いことなんだ。 ぜいたくは自分への御褒美なんかじゃない。 試練。神が僕に与えた、いや。自分自身で自分自身に与えたこれは試練なのだ。
再び、ガラスケースの前へと歩を進める。いまとなってはどうやってそこへたどりついたのか記憶はかすれている。モーゼのごとく人波が自然と二つに分かれ、ガラスケースへと誘う道が自然と作られていた。
店員と目があう。でも僕はひるまない。だってもう注文は決まっているから。目を肉へ落とす。と再び頭の中心から大きな渦が巻き起こってくる。680円のはなんてキレイなんだ。肉はピンク色で、白い脂肪の線が網の目のごとくはいっている。質感も非常に柔らか。180度開脚もへっちゃらだ。その肉を黄土がかった茶色の半透明なタレがコーティングしている。ニラなのかねぎなのか、細い緑色の野菜がほどよい間隔でデコレーションされている。
対して480円、茶色い。
タレの色が、ではない。肉の色が茶色いのだ。そして脂肪の線がない。質感も硬そう、というか一体感がなく、ぼそぼそとした感じ。680円が一人の巨漢力士だとしたら、こちらは、帰宅部の小兵たちが組み体操でもした「一群」。しかも一番下のやつはすでに悲鳴をあげている。
いけない、肉を見た目で判断するのは良くない。付き合ってみたら意外といい子かもしれないじゃないか。それにほら、一番じゃなくても普段僕と付き合ってるスーパーのあの子より価格もかなり上なんだし。だいたい僕なんかからしたら声をかけるのもおこがましい存在なんだゼ。
このように、再び散歩の旅に出そうな自分を抑える言い訳を考えることによって、480円の方を注文することができた。
グラム数はそもそも100gがいかほどの量かピンとこなかったが、「100g」と注文するとお金を持ってない人と思われるのが嫌で、といって300gも頼むと480円×3=1440円もしてしまうわけで、「200g」購入。
僕は美味しい肉を買った喜びよりも、買ってしまった、と多少の後悔を引きずりつつガラスケースを後にした。
とその時、 脇のワゴンが目にはいった。
そこにはスーパーにあるのと同様のパックに入った「中落ちカルビ。180g 398円」がいた。初めて見るけど懐かしい、そんなヤツだった。ガラスケースに入れてもらえず、ひっそりとワゴンの中で誰かに見つけてもらえるのを待っている。今の自分には彼のそんな境遇に痛いほど共感できた。「よしよし、お前も寂しいのか? ん?」
そう言いつつも、しっかり商品を吟味する。「中落ち」、言葉の意味はわからないが、テレビの食事番組でマグロ食べる時によく出てくる単語だ。いいじゃない。それに「カルビ」という焼肉語がくっついている。いいじゃない、いいじゃない。
「君に先に 逢いたかった」そう言って僕は1パック購入した。
おうちに帰ってホットプレートをダンボール箱から取り出し、軽く洗い、電源を入れる。
高級肉100g 400円をさっと焼いて口にしてみた。
「・・・・」
いまいち・・・。見た目どおり一体感がなく、ぼそぼそしてるのに表面はぬめっとしてて、牛肉特有の臭いが強かった。
続いて「中落ちカルビ」を食べる。
こちらはおいしかった。脂が多すぎるほど多いが、白いごはんと組み合わせるのに調度よかった。
うーん、困った。同じ店なら高いもの程うまい、と思ってたけど、 赤味好きか脂身好きかと好みの問題もあるのか、そうとも限らないんですね。
やはり身分相応の値段の肉を食べるべきってことですかね。えっ、素直に焼き肉屋行けって?
5月13日更新 挿絵2点追加
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図書館にて、東海林さだおの「ゴハンの丸かじり」を借りてきた。
これまで、 誰かに借りた数冊のエッセイ、そして食堂、病院、などの待合室に置かれている週刊誌の連載まんがを(置いてあれば)読むという、自分から積極的に能動的に身銭を切って本を入手するわけではない、東海林さだお先生の大ファンである僕は、この「丸かじり」にてある重大な発見をしてしまい、非常に驚いた。
そこで「これはいかん」と思いたち、今ここで全国民に報告する次第とあいなったわけであります。 一応、東海林さだおについて説明しておくと、マンガ家であり、エッセイも書いている。
本人はエッセイは副業と言っているが、このエッセイが抜群におもしろい。特に食に関しては実績、内容とも日本1と言っていいのではなかろうか。野球界の王、長島。プロレス界の馬場、猪木。サッカー界の・・・(ごめん、サッカーのこたよく知らんかった)といった存在なのであります。 さて、それほどまでに高く持ち上げておいてから言うのもなんですが、東海林先生が「こんなろー ゆるさんかんな」と激怒されるやもしれぬが、図書館に行った当初の目的は別だったのです。
久住昌之の「野武士のグルメ」を借りに行ったのです。
久住昌之とは、最近私のなかで、おもしろランキング急上昇中のマンガ原作者である。本人はマンガ家と言っているが、氏のマンガ作品を見たことはない。グーグルで調べても氏のマンガを見ることができなかった(誰か「こう検索すればでてくるよ」といったこと
あったら教えて)
なるほどおもしろいじゃないか。と、その頃タイムリーなことに孤独のグルメがドラマ化。
すっかりファンになりました。
他にどんなマンガ出してるのかな、と調べてみた。へえー面白そうなのいっぱいあるじゃん。おっエッセイも書いてるのか。エッセイなら図書館にあるかも。
ネットで近所の図書館の蔵書検索、
「野武士のグルメ」 という本が置いてあることがわかった。
狩りに、いや借りに行くしかない。
という道のりをへて図書館に久住昌之の「野武士のグルメ」を借りに行ったのである。
ところが、野武士が貸し出し中だった。
子供の使いじゃあるまいし、手ぶらで帰れっかよー、というわけで、次善として丸かじりを借りたのである。
さっそく家に帰り、本の上にダニ取りシートをかぶせる。
図書館道5段ともなれば当然の行動である
。
なんか図書館の本を読むと体がかゆくなるんだよね。
さて、読書に取り掛かる。
まず、サブタイトルを見て、知っている/興味のある項をザッピングする。
「丸かじり」は食のエッセイであるので、サブタイトルはそのまま取り扱う料理となっている。
次に1ページ目から順番どおりに読む。
巻末の、弊社発行の東海林さだお作品の紹介文を読む。なんたってこちとら5段だからよー。
サンマでいうと骨以外しゃぶりつくすサンマ食達人みたいなもんよ。
読書はさらに深く、細部へ進行する。
ふむふむ、初出誌は「週間朝日」、単行本は朝日新聞社刊、おや、だけどこの文庫の形態は、たしか読み始めの時視界をかすめたあのロゴは、と最終ページを見ると、文庫は文春文庫(文芸春秋)から発行されているのか、へーえ、なんかややこしいな。
さて、ここまでは大きな驚きもなく非常に楽しく有意義な読書であった。
太陽がさんさんと輝き、湿度は低く、緑のきれいな大草原の上でそよ風にふかれ、ともすればうつらうつらと船をこぎそうになる。遠くから羊飼いたちの声が聞こえる。そんなある日曜日のお昼どき。
急転直下、頭をぐわんぐわんと激しくゆらす出来事、いや事故、事件が起こったのである。
巻頭に戻り、「著者紹介」を読んだ時であった。
『東海林さだお(しょうじ さだお)。本名 庄司禎雄』
えっ!?
夢の国ディズニーランドを出て、駅前でめぐまれない人々に募金する。電車内の他人の会話から、実はそのお金は恵まれない人達には行かず、募金活動してる人のフトコロに入っていくと聞いてしまったかのような失望感。
だって、だって・・・
禎雄がさだおなのはいい、
だけど、東海林 とう・かい・りん・・・とう・しょう・しゃ・かい・ちん・れつ・ざん・ぜん
東が「しょ」で、海が「う」で、林が「じ」なのか
はたまた
東は「し」で、海が「ょ」で、林が「うじ」なのか、思いをかけめぐらせた少年時代。
その思いはどこにいっでまうだー
・庄司さだおのアサッテ君・・・
明後日感がない。
おまえはアサッテ君じゃなく オトトイ君に改名せえーい!
・庄司さだおのあれも食いたいこれも食いたい
何もノドを通らない・・・ すいませんあれも点滴これはビタミン剤でお願いできませんか
いや、東海林、もとい庄司さんは悪くない。
悪いのは出版社、大人たちだー。
だって『2代目タイガーマスク (にだいめ たいがー ますく)。本名 三沢光晴』
て書いてるのといっしょだよこれ。子供の夢を長グツでぐちゃぐちゃに踏んだんだよ、グスッ。
さーて「昼メシの丸かじり」読もっと
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図書館にて、東海林さだおの「ゴハンの丸かじり」を借りてきた。
これまで、 誰かに借りた数冊のエッセイ、そして食堂、病院、などの待合室に置かれている週刊誌の連載まんがを(置いてあれば)読むという、自分から積極的に能動的に身銭を切って本を入手するわけではない、東海林さだお先生の大ファンである僕は、この「丸かじり」にてある重大な発見をしてしまい、非常に驚いた。
そこで「これはいかん」と思いたち、今ここで全国民に報告する次第とあいなったわけであります。 一応、東海林さだおについて説明しておくと、マンガ家であり、エッセイも書いている。
本人はエッセイは副業と言っているが、このエッセイが抜群におもしろい。特に食に関しては実績、内容とも日本1と言っていいのではなかろうか。野球界の王、長島。プロレス界の馬場、猪木。サッカー界の・・・(ごめん、サッカーのこたよく知らんかった)といった存在なのであります。 さて、それほどまでに高く持ち上げておいてから言うのもなんですが、東海林先生が「こんなろー ゆるさんかんな」と激怒されるやもしれぬが、図書館に行った当初の目的は別だったのです。
久住昌之の「野武士のグルメ」を借りに行ったのです。
久住昌之とは、最近私のなかで、おもしろランキング急上昇中のマンガ原作者である。本人はマンガ家と言っているが、氏のマンガ作品を見たことはない。グーグルで調べても氏のマンガを見ることができなかった(誰か「こう検索すればでてくるよ」といったこと
あったら教えて)
なるほどおもしろいじゃないか。と、その頃タイムリーなことに孤独のグルメがドラマ化。
すっかりファンになりました。
他にどんなマンガ出してるのかな、と調べてみた。へえー面白そうなのいっぱいあるじゃん。おっエッセイも書いてるのか。エッセイなら図書館にあるかも。
ネットで近所の図書館の蔵書検索、
「野武士のグルメ」 という本が置いてあることがわかった。
狩りに、いや借りに行くしかない。
という道のりをへて図書館に久住昌之の「野武士のグルメ」を借りに行ったのである。
ところが、野武士が貸し出し中だった。
子供の使いじゃあるまいし、手ぶらで帰れっかよー、というわけで、次善として丸かじりを借りたのである。
さっそく家に帰り、本の上にダニ取りシートをかぶせる。
図書館道5段ともなれば当然の行動である
。
なんか図書館の本を読むと体がかゆくなるんだよね。
さて、読書に取り掛かる。
まず、サブタイトルを見て、知っている/興味のある項をザッピングする。
「丸かじり」は食のエッセイであるので、サブタイトルはそのまま取り扱う料理となっている。
次に1ページ目から順番どおりに読む。
巻末の、弊社発行の東海林さだお作品の紹介文を読む。なんたってこちとら5段だからよー。
サンマでいうと骨以外しゃぶりつくすサンマ食達人みたいなもんよ。
読書はさらに深く、細部へ進行する。
ふむふむ、初出誌は「週間朝日」、単行本は朝日新聞社刊、おや、だけどこの文庫の形態は、たしか読み始めの時視界をかすめたあのロゴは、と最終ページを見ると、文庫は文春文庫(文芸春秋)から発行されているのか、へーえ、なんかややこしいな。
さて、ここまでは大きな驚きもなく非常に楽しく有意義な読書であった。
太陽がさんさんと輝き、湿度は低く、緑のきれいな大草原の上でそよ風にふかれ、ともすればうつらうつらと船をこぎそうになる。遠くから羊飼いたちの声が聞こえる。そんなある日曜日のお昼どき。
急転直下、頭をぐわんぐわんと激しくゆらす出来事、いや事故、事件が起こったのである。
巻頭に戻り、「著者紹介」を読んだ時であった。
『東海林さだお(しょうじ さだお)。本名 庄司禎雄』
えっ!?
夢の国ディズニーランドを出て、駅前でめぐまれない人々に募金する。電車内の他人の会話から、実はそのお金は恵まれない人達には行かず、募金活動してる人のフトコロに入っていくと聞いてしまったかのような失望感。
だって、だって・・・
禎雄がさだおなのはいい、
だけど、東海林 とう・かい・りん・・・とう・しょう・しゃ・かい・ちん・れつ・ざん・ぜん
東が「しょ」で、海が「う」で、林が「じ」なのか
はたまた
東は「し」で、海が「ょ」で、林が「うじ」なのか、思いをかけめぐらせた少年時代。
その思いはどこにいっでまうだー
・庄司さだおのアサッテ君・・・
明後日感がない。
おまえはアサッテ君じゃなく オトトイ君に改名せえーい!
・庄司さだおのあれも食いたいこれも食いたい
何もノドを通らない・・・ すいませんあれも点滴これはビタミン剤でお願いできませんか
いや、東海林、もとい庄司さんは悪くない。
悪いのは出版社、大人たちだー。
だって『2代目タイガーマスク (にだいめ たいがー ますく)。本名 三沢光晴』
て書いてるのといっしょだよこれ。子供の夢を長グツでぐちゃぐちゃに踏んだんだよ、グスッ。
さーて「昼メシの丸かじり」読もっと
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