第一章ユニット1から千田有紀作で6ページから28ページまで有ります
それらの中から
セッOスとジェンダーを抜粋します(*´ω`*)ゞエヘ笑
アメーバの規定に触れるみたいなので一部加工しました(*´ω`*)ゞエヘ
『ジェンダー論をつかむ』と言う本を手に取っている人は『ジェンダー』について知りたいと思っている人たちだと思います
まず最初に直球で『ジェンダーとはなにか?』と言う質問をして見ましょう
『そんなことがわかっていたら、こんな本は読まないよ』と言わずに答えてみてください
『セッOスとは生まれながらもっている生物学的な性差でジェンダーとは社会的、文化的に作られた性差の事をさす』そう答えた人はいませんか?
よく勉強していますね確かにそう言われることも多々あります
私達の社会では女の子は女の子として、男の子は男の子として育てることによって
女の子男の子が作られて行く
女の子が産まれたらピンクの洋服を男の子が産まれたらブルーの洋服を着せる
女の子が泣いたら直ぐに抱き上げ、男の子が泣いたら『男の子なんだから』と自立心を養わせる
同じように笑っても女の子と知っていれば『笑顔が優しい』男の子なら『キリッとしてるね』と私達は言い合う……
確かに産まれながらにして男女は違うかも知れないけれど、私達が性別によって異なった育て方をすることによってジェンダーは作られて行く
だから男女の取り扱いの差を無くせば…
ジェンダーの差をなくして行くことが出来る。
セッOスとジェンダーを生物学的な性差、社会、文化的な性差にそれぞれ対応させるのはこの様な考え方に基づいているからでしょう
この考え方は全く間違いと言うわけでは有りません
確かに私達は男の子や女の子を違った様に扱っています
人は産まれたその瞬間から…
いえ、最近はお母さんのお腹に居る時にもう性別が分かりますから産まれる前から、
性別によって違った様に扱われ違った期待をかけられて育ちますそれは間違いありません
元々は文法の用語だった『ジェンダー』と言う言葉
(ヨーロッパ系の言詞で有り
全ての名詞は男女に分かれています
どいつごには中性まで有ります)
をわざわざセックス(性別)と言う言葉があるのに人間の性別に新しく使い始めた時
そこには…『セッOスとは違う、作られるジェンダーがあるのだ』と言う気持ちが込められていたに違いありません
セックスとジェンダーを分けるとこは産まれながらにして有るセッOスとは違って
社会、文化的に作られているジェンダーは変えられると言う結論を導き出せます
シモール・ド・ボーボーワールは『人は女に産まれるのではない。女になるのだ』と言いました
私達はこの社会に産まれ落ちることによってそれぞれ女や男になって行くのです
とは言え『セッOスが生物学的差異、ジェンダーが社会的・文化的な差異と言う事は、間違いではない』と言うからには『正解でもないのでは』と思った方
鋭いですねこの様な考え方に基づいて使われ始めたジェンダーと言う言葉ですが、
今の研究の水準はもう少し先を行っています
それは『セッOスも実は社会的・文化的に作られている』と言うものです
この章で学ぶことは
ユニット1は身体観の歴史的年間を検討します。今の私たちがもっている男性と女性の体は正反対のものであると言う常識は比較的に新しくできましたセッOスに関する知識もまた作られているのです
ユニット2はジェンダーと言う概念を検討します生物学的生物であるセッOスとは異なる文化的・社会的生物と言う意味でのジェンダーがどのように性別の作られた全般を指す概念へと変容したのかについて概観します
ユニット3 ジェンダーと関連しながらも別の概念系であるセクシュアリティについて検討します
セクシュアリティーとジェンダーが結びついているヘテロセクシズムを作り出しています
難しいですよね(*´ω`*)ゞエヘ
でもまだまだ難しいくなって行きますよ~(*≧▽≦)ノシ))笑
でもここで言われているのは
ジェンダーとは?
男や女は?
社会的・文化的に?
とかが上げられてます
各章毎にユニットが有ります
もっと知りたいと思うかたは…この本を手に取ってみてください٩꒰ ꇐω ꇐ๑꒱۶
あ、そうそうこの方知ってますか?
デンマークの首都コペンハーゲンで開催された欧州国別対抗歌謡祭「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で優勝したオーストリア代表のコンチータ・ウルストさん