2021年から全羅南道の麗水市で「麗水·順天事件ダークツーリズム」シティツアーというバスツアーが始まりました。麗順事件の歴史ゆかりの地をまわるもので、麗水市が直接運営しているシティツアー商品です。
地元の解説士の解説を聞いて回るので、事件に対する理解を深めることができます。
麗順事件とは?
1948年10月19日、麗水(シンウォルドン)に駐屯していた国軍第14連隊の一部軍人が「済州4·3事件」鎮圧命令を拒否して起こした事件で、鎮圧過程で多数の民間人が犠牲になった事件
で詳細は↓どうぞ(韓国語)
https://www.yeosu.go.kr/www/yeosu/yeosoon/incident_10_19
コースは約6時間(季節や交通状況によって変動あり)。一人10000ウォンで予約が必要ですが、外国人観光客の場合は
現地で席があれば乗車可能だと思います。予約しないと心配という方は観光公社の1330の無料電話やチャットサービスを利用して
代わりに予約を取ってもらったりすることが可能です。
観光公社 1330
コースは以下の通り
麗水エキスポ駅→梧桐島(オドンド)→麗順事件記念館→李舜臣広場→西市場→西小学校
→14連隊駐屯地→ソン・ヤンウォン牧師殉教地→万聖里虐殺地兄弟墓、慰霊碑→麗水エキスポ駅
待ち合わせ場所はKTXの駅前、10時30分です。横断歩道を渡ると目の前にバスが止まっているので確認しましょう。
うーん、英語の案内もあるとうれしいですね。ハングルわからないとちょっとわからないかもですが、麗順事件に興味があるというのであればある程度ハングルがわかる方がいらっしゃるかもしれません。ちなみに今回の解説士さんは英語の観光案内通訳案内士の資格もおありでした。麗水市には日本語可能な解説士も数人いますので、日本語の解説が必要であればあらかじめ相談するとよいでしょう。
まずは梧桐島へ。観光シーズンで多くの観光客でにぎわっていました。
そこにあるのが麗順事件記念館です。こちらはエキスポ広報館のスペースもあります。
事件の概要についてお話しいただきました。
記念館にはキム・ジョンヨル画伯の迫力ある作品の紹介もありました。
太陽を覆う雲がなくなり、かなり暑くなってきましたが次に向かったのは西小学校。
事件当時老若男女関係なく市民を集め、国に刃向かった人たちに協力したかどうかを審査した場所です。審査といっても一方的なやりかたで民間協力者とレッテルを貼り、殺害したのでした。
お昼休憩のために李舜臣広場に向かいました。私のお姉さんとも言えるかりんさんは麗水在住で文化解説士をしているのですが、ちょうど広場にある観光案内所に勤務中とのことでうまくタイミングが合ったので、食事をご一緒することになりました。
観光客で車も混み、有名なお店はどこも満員。地元の人たちが訪れる全州(チョンジュ)釜飯のお店に案内していただきました。
地元の人だからこそ知っているおいしいお店。必ず麗水らしいグルメでなくてもおいしいお店がたくさんあります。
全羅南道はごはんがとってもおいしいエリア。次々といろいろなおかずがテーブルに並びました。
彩りも美しい釜飯。豆もふっくらと炊き上がっています。卵黄を崩して石焼鍋の中でよくかき混ぜていただきます。
いろいろな薬味の入った醤油のタレを少しだけ加えました。
おなかいっぱいになった後は、少し遠出してハンファの工場入り口へ。
まさに事件の時に、反乱を起こした14連隊が駐屯していました。日本統治時代の時は海軍202部隊があったそうです。
今年5月に麗水に来た時に、この近くにある旧日本軍の軍事施設を見に来ました。
その施設は海岸に設置された長方形の飛行機滑走路の跡です。
ハンファの敷地内に海軍時代のものが残っていると聞いていましたが、個人で入るのがなんとなく難しそうだったのでスキップしました。
今回は麗水事件の場所として堂々と敷地に入れたのでよかったです。敷地内と言っても駐車場スペース、出入り口から少し離れたところにそのトンネルがありました。このトンネルは武器倉庫ととして使用されていたようです。
1942年から3年にかけて掘られたもので、あとから拡張していったとのこと。
現在は見学のためにライトアップされています(見学の時に電気をつけていました)。
説明を聞きいる参加者のみなさんたち。
今回のツアーの中で一番行きたかった場所だったので、行けてよかったです。
次はごく普通の道路沿いにある小さな公園、ソン・ヤンウォン牧師殉教地です。
昔は果樹園だったそうです。1950年9月28日は国軍のソウル収復(取り戻す)日でしたが、この日に
ソン・ヤンウォン牧師は共産軍の銃弾によって殉教しました。
慰霊碑とモニュメントがあります。彼はハンセン病患者の世話をしていた敬虔な牧師として知られる人物で
自身の二人の息子を死に至らしめた共産党員を養子として迎えたという逸話を持っています。
48歳で亡くなっています。
麗水空港の近くにある2019年に愛養教会と愛養園病院を訪れたことがあります。
今もハンセン病の人たちが集まって住む集落があるのですが、ソン・ヤンウォン牧師殉教記念館が
訪れた日は休館日だったか修繕中で中に入れませんでした。
殉教地を訪れて、改めてあの場所を訪れたいなと思いました。
海の景色がきれいな万聖里にやってきました。こちらもツアーのハイライトの一つではないでしょうか。
兄弟墓は海岸道路に面していましたが、事件の当時は海に面していました。つまり道路が新しく造成されたということですね。
遺体の数があまりにも多く、そして身元確認ができないためせめて仲良く兄弟のように眠ってほしいという思いから
兄弟墓とつけられた墓地です。
空と海の青がまぶしかったです。悲しい事件の現場を直接訪れることは大変意味深かったです。
犠牲者慰霊碑です。麗順事件の真相を明らかにするための法律が最近国会を通過しました。
真相究明及び犠牲者名誉回復委員会は、2023年いっぱいまで犠牲者および遺族からの申告を
呼びかけています。
この場所は事件の時に虐殺が行われた場所を代表するところのひとつ。
遺体が次々と海に投げ込まれたそうです。
合掌。