二狐競食の計
妄想は一日一回守れるよね?
『二狐競食の計』という依頼の話でした。
実際は、豫州の11-15にいる「曹沖 」から依頼を受け、豫州の9-14の凶狐の祠へ行き《凶狐の宝》を手に入れ、
豫州の9-16の狡猾狐の祠へ行き、《凶狐の宝》を供え再び凶狐の祠へ行き、《狡猾狐の宝》を供え「曹沖」に報告
する依頼になります。
さて、『二狐競食の計』と表記しましたが元になった話は『二虎競食の計』です。
二匹の腹をすかした虎の前にエサを投げ与えれば、二匹はエサを奪いあって争う。
その結果、一匹は倒れ、残った一匹も傷だらけになる。そこをしとめようという作戦です。
この二匹の虎にたとえられたのが、劉備と呂布 です。
董卓を殺害した呂布でしたが、董卓の元配下に追われ流浪し劉備の元にやってきます。
その頃の劉備はというと、徐州の太守であった陶謙(とうけん)から太守の座を譲り受けていましたが正式に
認められた訳ではありませんでした。
呂布の武勇と劉備の器量を結びつくのをおそれた曹操 は、荀彧 に問いました。
そこで荀彧が考えたのが『二虎競食の計』です。
曹操は、劉備に正式に徐州の太守に任命するという詔勅(しょうちょく)と呂布を殺せという密書を送りましたが
義を重んじる劉備は、呂布を殺すことを拒み機会を見てと返事し、『二虎競食の計』は失敗に終わります。
※詔勅(しょうちょく)・・・皇帝の意思を表示する文書の総称
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