余分が出たら、余分をめぐらす
余分とか余剰とかって、ためたくなる習性が自分には強くあった
溜めておかないといけない!
貯めておかないといけない!
疲れたら困るし、なくなったら怖いし、とにかく何でもかんでもためておくのが正解と思っていたなと振り返る
💩もためてましたね
時間が惜しくてね…
と同時に、いつも足りない感覚に襲われていた
時間も、元気も、お金も…
だから、余計に欲しくなる
ちょうどいい感覚がわからなくなっていました
満足ができないというのは、つらい
常に焦り、不安に苛まれる
欠乏感から動くと、欠乏感しか生まれない
余剰が余剰を生むのではないか?
投資とか資金運用とかの話ではまったくなく
自分の中でありあまる余分なものを周囲のために使ってみたら、さらにありあまって自らの活動も周りへの役に立つ具合も拡がっていくのかなぁとぼんやり考えてます
以前の欠乏感の中にいた私の願いは、
「使われたくない!」でした
今より収入は多くありましたが、精神的にも肉体的にも経済的にも、なぜかギリギリの生活を送っていました
だからこそ、まず身体のめぐり💩を過不足なくしていくことが大切なんだなあと思うのです
自分の身体をちょうどいい感じに満足させているか?
「出す、食べる、寝る」
贅沢させるということではなく
排泄、食事、睡眠において、自分を満足させられない状況において、それ以上の満足なんて感じることができるだろうか?
余剰が余剰を生む
教員時代、始業時間ギリギリに滑り込んでいた私が、雪の日に1時間も早く出勤したくなってしまった自分になれたことが私にはうれしいです
↑多くの人にとってはあたりまえかもしれませんが、私はそれくらいギリギリでゆとりがなかったです(雪の日は大抵遅刻してましたし)
↓どんだけ余裕なく、ギリギリだったか😅
証拠記事が残ってました
ギリギリの状態にあるときに、無理に人のために動けということではありません
勝手に自然にやりたくなる、までは自分の身体に専念することが先決です