「💩出したい!」を捉えて、自分をトイレに連れていくという「出すトレーニング」をし始めて、1年と1ヶ月。
💩を溜めることがなくなったおかげで、身体のめぐりがよくなり、あらゆる分野において「出す」ことに対する抵抗が減少してきた。
今の私の場合、表現を「出す」ことが熱い。最も循環している。
9枚の『リュウグウ』(点描画)と思いついて、10日くらい経った。
現在2枚目まで、仕上がった。
直径15cmの小型です。
何のために描いてるの?と問われても、答えはない。ただ、1枚仕上がると、次の映像が浮かんでくる。
「出したい!」だけで描いている。
9枚まで、思いつくのか?
どんなふうになるのか?
まったく不明。
ただ、このキャンバスを購入した後に、もしかしたら飾る場所ができるかもしれないというご提案をいただいたり、一緒に点描画を描きたいという方が現れたり!
9枚の『リュウグウ』という思いつきを無視してたら、なかった展開かもしれない。
生産性とか、効率性とか、経済性とか、以前の私だったら、ただのムダだと切り捨てていた。
何のためになるの?
役に立つの?
お金になるの?
ここに囚われたら、まったく何も出せなくなってしまう。
大きなことをするわけではなく、今の自分の状況で充分に「出せる」ことをムダだと切り捨てて「出さない」でいると、💩を溜めると同じく自分の中に表現が溜まっていく。
表現の便秘も、いつか私自身をむしばむことになる。すねたり、こじらせたりして、人に八つ当たりしかねません。
何の意味もないことをするのは勇気が要ります。でも、💩と同じくめぐりをよくすると、また新たな展開がある。結果的に、「出してよかった!」ってなると信じています。
今まで無駄を避けて避けて生きてきましたが、無駄だと思うものでも「出して」めぐらせていった方が無駄のない日々を実現しているというパラドックスに驚いています。
1枚仕上がらないと、次のアイデアが来ないのですが、本当に9枚まで描けるのか?このプロセスもおもしろい。