たまには落ち込むこともある。
いつも気分よくいたいものだが、やはり💩にも気持ちにも波がある。
波に抗いたくなるが、最近はそういうとき流されてみるようにしている。
いったん、落ち込んでみる。
ずっとやってると(といっても30分くらいだろうか)、次の行動が見えてくる。
今日はひとまずお風呂に入った。それでも、まだ落ち込みの波が静かに押し寄せてきている。
もうこういうときは、一人になってみる。ただ、頭の中でモヤモヤしていても、仕方がないので、ノートに書き出してみる。
「どうせ、私は報われない」
今日の落ち込みを、紙に書いていたら、こんな言葉にたどりつく。
そこでふと、これは誰の、いつの想いなのかなぁ?と、本当にわたしのものなのかなぁ?と我に帰る。
具体的に報われないできごとがあったわけでもないのに、些細なことをきっかけにわたしは謎に「報われない」と思い込んでいるだけなのかもしれない、と思った。
身体はエネルギーの通り道。
食べ物も感情も、この身体を通過していく。
だから、自分の些細な不安に、いつのものとも誰のものともわからない感情が乗っかってくることもあるのではないかと思う。
それはきっと、その感情もめぐりたがっているから。溜まったままでいたくないのだろう。
ここまでくると、不思議と落ち込みは消えている。
これも一つの「出すトレーニング」。
ノートは、トイレと同じ働きをしてくれます。