トイレをがまんしてまで、私が求めていたもの。

それは『無難に生きること』だった。


悪目立ちせず、無難に生きていくこと。


自分の💩を優先すると、人に合わせられない。

自分のペースを優先すると、人に置いていかれる。

自分の好きを優先すると、人から嫌われる。


人と交わる中で、自分を出すってことは和を乱すことではないかと恐れてきた。

※これはまったくの私の思い込みです😂


それを40数年続けてきた結果が、「出残り便秘®︎」と「内痔核」だった。


「出始めが固くてなかなか出てこない💩」

「脱肛と出血を繰り返す内痔核」


無難を選んで生きてきた結果は、災難そのものでした。大阪肛門科診療所に出会うまでの2年強、私は苦しみ続けたのです。



もう、無難には生きられない。


今の私にとっては、無難な選択肢の方がおそろしい。かえって災難に遭って、回り道することを体感したからです。


自分の本当の望みを聴く。大それたことではなく、「今、私💩出したい!」とか、そういう小さな望みです。