💩出したい!
私の場合40年ほど、この声をスルーして生きてきたので、かなり鈍感になっていました。
肛門は常に通り道であって、💩を溜めておくところではないのに、溜めるのがあたりまえになって便意が起きないのです。
2、3日は平気で溜めて、切羽詰まってものすごく出したくなるけど、固まって出づらい。
なんて恐ろしい悪循環。
今は小さい声のうちに気づけるので、少しでも💩が下りてくると、肛門に違和感を感じます。なんだか気持ち悪い、圧がある。
本気で便意の声を聞こうとしたら、1年くらいでここまで敏感に感じ取れるようになるものなのだなぁと感動しています。
「出残り便秘®︎」完治までは、まだまだ時間はかかるかもしれませんが、肛門の感度は確実に上がっています。
外出先でもなりふり構わず、「トイレ行ってきます」「トイレはどこですか?」と💩優先に生きています。
今日もUNIQLOで会計中に急にもよおし、必死の形相で店員さんにトイレの場所を尋ねた私です。
前だったら絶対に我慢していた場面でも、必死にトイレを探します。せっかく、来てくれた便意をおろそかにするなんていう選択肢は捨てました。
便意を無視して💩を出さない方がよほどおそろしい結果になることを身をもって経験したからです。
「トイレ」を優先するのって、その場によっては行儀悪く思われたり、場の雰囲気を壊したりすると思われがちですが、本当にそれらは💩を我慢するほど大事なことなのだろうか?
💩を出したいって感じなくなる方が、よっぽど悲惨です。
💩を溜めてた私は、一見礼儀正しかったかもしれないけど、機嫌も悪かったし、不満も溜めこんでいました。
それでも、便意を軽視しますか?
それでも、体裁を整えますか?