私は小さいときから
人生は修行だと思って生きてきました。
なんか「修行」って言葉が
しっくりくるなぁという程度のものですが。
高校生のときも
「精進」って言葉が好きで、
いつか出家したいという
ナゾの望みもありました。
今となっては不思議すぎる😆
まぁ、そんな私は
💩を我慢する修行
💩を直腸にためる修行
をしてきたわけです。
で、
トイレタイムが
「苦行」と化したわけです😂
苦痛でしかなくなって、
解脱(=脱肛)。
まぁ、
この身体を使って、
苦しみ抜きたかったのかもしれません。
苦行から解放された今。
トイレタイムは
「快楽」「快感」「歓喜」
にあふれております🍑
「出したい」をキャッチして、
トイレに行って出すだけで、
こんなにもしあわせを感じられるなんて、
夢にも思いませんでした。
「出したい」は身体の違和感。
些細な違和感をキャッチするセンサーは
日々の鍛錬が大事です。
小さいので、スルーしやすい。
スルーせずにキャッチした後、
どう扱うかも
トライアンドエラー。
でも、
おんなじように日々の積み重ねならば、
違和感をガマンするより、
違和感をキャッチして改善する方を
私は選ぼうと思いました。
ああ、
きっと「自分が我慢すること」を
「修行」と捉えていたかもしれない。
もう、
そういう種類の
修行の時代は終わったんだなーー。