大阪肛門科診療所で


内痔核根治手術に入るときは


もう本当に壮絶でした。








最後に坐剤ですべて出し切ってから


手術に臨むのですが、


脱肛は必須です😭






そして、


戻らないまま、手術台へ。














「痛い😱」


「怖い😱」




もう、大騒ぎの手術室。








そんな中、


院長のいわお先生が


「さわいでいいよ〜」

「痛いって言っていいよ〜」


と軽やかに声をかけてくださったので、


安心して大騒ぎしていました。











麻酔が効いてきたころ、


また、いわお先生が一言。




「そろそろ、『痛い』と

『怖い』を分けてみよう」




その言葉に


はっとした。




「痛くて」声に出る場合と


「怖くて」騒ぐ場合とに分けてみた。





声がだんだん静まっていった。


麻酔で「痛い」はなくなっていって、


「怖い」だけが残っていることに気づいた。











そこまでいったら、


もう手術がスルスルと進んでいった。





BGMが心地よく聴こえ、


セラピードッグのラブちゃんが


目の前ですやすや寝ていて、


撫でたりできた😍
















あの後、


ずっと「痛い」と「怖い」について


考えてた。


あのとき、


区別できたおかげで正気が戻った。


その心の動きが不思議だったのだ。









😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱









どちらも形容詞である。


ものごとの状態や様子を表す言葉。








この二つを名詞化してみたら、


違いが見えてきた。







🍑痛い → 痛さ、痛み


🍑怖い → 怖さ



あれ、「怖み」ってない。




他の形容詞も名詞化してみると、


どれも「さ」はつく。


暑い  → 暑さ


厚い  → 厚さ、厚み


寒い  → 寒さ


強い  → 強さ、強み


美しい → 美しさ


悲しい → 悲しさ、悲しみ






でも、「み」は


必ず


つけられるわけではない。






「さ」と「み」の違い❓









「さ」は「差」

 何かと比べて感じるもの

 程度


「み」は「実」

 実体のある感覚




こう考えてみると、


「痛み」は実際にある実体があるもの。



でも、


「怖さ」には実体がない。










手術台に上がった私が


当初感じていたのは


脱肛した内痔核の「痛み」と


何が始まるのかわからない「怖さ」。






次に来たのが


麻酔の「痛み」と


手術への「怖さ」。








第3段階は


麻酔によって、


「痛み」はなくなっていくが、


「怖さ」は消えない。





その「怖さ」に支配されていたんだ。


実体がないからこそ、


感じれば感じるほど大きくなる。







「痛い」と「怖い」を分けようって


なったことで、


得体が知れないほどに膨らんでいた


「怖い」がしぼんでいってくれた。








「み」がつく形容詞


「み」がつかない形容詞







昔から日本語が使い続けられる中で


「実体があるんじゃないか?」と


感じられてきた感覚から


培われた言葉であるので、


今の感覚に合わないものもあれば、


今後また変化していくものもあるかも


しれない。











ただ、


今自分が


どんな感覚にとらわれているのかを


分けてとらえてみると、


我にかえりやすくなるのではないか?


と思ったわけです😍







手術の帰り道は


「うれしい」でいっぱいでしたねーー😆