今日は私にとって


とても大切な方の誕生日であった。


ただ、先に旅立って10年。


もう、10年も経ったんだ、と思う。






10数年前一緒に働いていた同僚であり


同期採用でもあり


教員生活の中でも


実に貴重な2年間をともに過ごした。





閉校した普通高校を


特別支援学校として蘇らせる。


一年間、使われていなかった


校舎を掃除し、校庭を整備する。


一言で書いているが


想像を絶する毎日だった。








赴任した最初のころは


生活できるようにするのが


毎日の仕事だった。






今まであたりまえだった学校に


あるようなものが


ほとんどない中で、


どうしたら、よいよい生活ができるか


どうしたら、よりよい支援ができるか


彼女とはいつも話し合った。


楽しい毎日だった。












そんなある日、


彼女がトイレから


血相を変えて出てきた。


下血したという。


深刻な病の前兆として


そういうこともある、と。









私にとって


排泄時の出血は


日常茶飯事だった。







だから、


深刻にもしたくなくて、


「私は毎日だよーー」


と軽く茶化してしまった。












それから数年後。


彼女に深刻な病気が


見つかった。












あのとき、


私がもっと真剣に受け答えていたら?


ずっとずっと心にしまい込んでいた。


















今、


自分の身体の違和感サインに


敏感になったからこそ、


浮上してきたんだと思う。







あのとき、


私自身が


自分の違和感(ほぼ毎回出血)にすら


慣れきっていた。


思えば、子宮筋腫も抱えていたのに。


何も気づけてなかった。





そんな私だから、


彼女の違和感をスルーしてしまった。









自分にも


彼女にも


申し訳がなくて


涙があふれてきた。














今日は


彼女のお墓参りに行くと決めていた。










あのときのことを


彼女に「許して」とは


言えない。



でも、


今の私にできることを


しようと思うのだ。







出血を


あたりまえにしないで済む


肛門のために働きたい。







下血が


違和感だと感じられる


身体のために尽くしたい。






墓前にて


そうお伝えして、


空を見上げると


鳥が一羽


羽ばたいていった。