雅子の巻き込まれているビジネスと雅子の動機 | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
I love Jehovah God and the Bible.
I explaine Bible
prophecies in my
Yohane no blog.

(1)雅子の巻き込まれているビジネス


 私は、他の人が私の見聞きできることを見聞きできるというビジネスに巻き込まれています。これは、国際的なビジネスです。これは、私の創意で始まったわけではありません。


 日本、アルメニア、米国、中国、インド、イラン、ロシア、ジョージア、その他の国々などでも、行われているようです。


 私の目に見える物が見えるという人があり、目は見えないけど、耳に聞こえる事だけ聞こえるという人もいるようです。


 お客さんの中には、私の味覚や触覚なども感じることができる人もいるようです。


  あるお客さんは、テレビの大画面を見ているようなものだと言いました。わたしは、お客さんではないので、分からないのですが、そうなんでしょう。


  耳の聞こえる人々でしよう。私が語った言葉を復唱する方がいます。


 また、とりわけ、 日本では私の考えを読みとつているおそらく若い日本人男性の歌声が聞こえます。


 それらの男性は、自分の思いを語っているつもりだと思いますが、実は、私の思いに連動しています。でも、もちろん、ご自分たちの考えや知識を語ることもできます。


 私が何かに集中している時、他の人と話している時などは、それらの若者は私の思いを読むことはできないか、それが、難しいようです。


 また、それらのマインドリーダーたちは、私がその若者たちの思考のスピードに合わせるのではなく、文章を急いで読む時などは、私の思いを読むことはできません。


 でも、私はどこの会社からもサラリーをいただいていません。


 各国に偽雅子が存在し、かなりの収益を挙げているようです。私はその会社と契約があるわけではなく、その会社と私の間で話し合いがあるわけではありません。


 その会社は多くの偽雅子たちにわたしのふりをさせて、ビジネスをしているので、私と話し合いすることを望まないでしよう。


(2)雅子の動機


 私はこのビジネスを通して多くの方々が聖書やキリスト教を知る機会になればいいと思うので、基本、ビジネスそのものに反対はしていません。


 私はこのビジネスでお金儲けをしようとは思いません。私がクリスチャンであるのは、お金のためではないので、それらの会社からお金をいただきません。


 私が行なうことは、創造者エホバに対する愛と信仰、聖書に対する愛と信仰によって行なっています。私の人生の目的は、聖書の預言と調和して神のご意志をおこなうことです。


 また、わたしは聖書の言葉は神の言葉であることを信じています。それで、聖書は、真理であって必ず成就していくという信仰に基づいて行動しています。

 

 それで、この会社と私は動機が違うと思います。


  私が、このビジネスに反対しないもうひとつの理由は、このビジネスが聖書預言の中で預言されていたと考えるからです。


 その理由の聖書的な詳細は、また、次回、説明したいと思います。


 その会社のワーカーの中には、私を使ってビジネスをして収益を挙げているので、感謝の気持ちから私に食物やお金などさまざまな支援をしてくださる方もおられると思います。


  私はそれらの人々には感謝しています。


 しかし、私がこのビジネスに巻き込まれているということは、大変なデメリットがあります。


 私の見るものを他の人たちが確認できるために、たとえば、銀行の暗証番号や貴重品などが、貪欲な人々に分かつてしまいます。


 そのため、私は私の持つお金や貴重な物が、貪欲な人々によって盗まれやすいという不利な状況にあります。とりわけ、サイバー犯罪で、そうなりやすいと思います。


 私はそのために、現在、経済的な困難に直面しているのではないかと思います。


(3)偽雅子はどんな人々か


 私、ヨハネこと雅子は日本人のクリスチャンです。ヨハネのブログはキリスト教を推進するためのものです。キリスト教以外の異教とは、関係ありません。


 私を用いた仕事をしている会社のワーカーは、多くの場合、聖書の教えや創造者なる神の存在を信じていませんし、聖書の教えに従おうとしていません。もちろん、一部には信じているワーカーもいるかもしれません。


 しかし、偽雅子たちの、仕事自体は、キリスト教とは言えません。


 なぜなら、偽雅子、すなわち、私のビジネスをする人々は、殺人や淫行など神の律法に違反しないように断固として努力をしていないからです。


 偽雅子は、聖書の教えを誤り伝えたり、聖書の教えが曖昧になるようにしている人もいます。それは私の信条に反しています。


 偽雅子の中には、実際、売春を習わしにしていたり、ゲイや売春などを餌にして、お客さん集めをしている人もいるのではないかと思います。


 同性愛や売春は、聖書の教えに反しています。


  聖書は、当然、同性愛を非としています。聖書の神は、ゲイの町ソトムとゴモラに火と硫黄を降らせて滅ぼされたのです。


  また、売春婦は、 神に非とされる淫行を習わしにしている人々です。淫行とは結婚関係外の性関係を意味しています。


 昔、ユダの王たちは、神に喜ばれるため、売春の行なわれている場所を破壊したこともありました。


 そのため、キリスト教を用いて、聖書に真っ向から反することを広めたり、そのような仕方で、ビジネスをしているとしたら、彼らは、昔の偽預言者になぞらえられます。


 偽預言者は、聖書時代にエホバから死の裁きを受けています。そのような仕方でビジネスを進めるとしたら、エホバ神から死の裁きを受けることになるでしよう。


 会社の人々の中には、クリスチャンも含まれていると思いますが、イスラム、仏教、ヒンズー教などあらゆる宗教の人々がそのビジネスをしています。また、当然、無宗教の人々もいます。


 とりわけ、イスラム教は、一夫多妻であり、イスラム教徒が、復讐のために殺人することも容認します。


  ですから、イスラム教は、聖書的に見ると淫行を容認し、その神は、殺人も容認しています。ですから、イスラム教の神は、聖書の神と異なります。


 また、ヒンズー教徒は偶像崇拝を容認しています。ですから、イスラム教もヒンズー教も、キリスト教とは異なつています。


 ワーカーたちは、互いに兄弟と呼び合つているようです。でも、聖書的に兄弟姉妹と呼び合えるのは、聖書に従うクリスチャンたちだけです。


 ですから、彼らが異教の人々たちと、霊的な兄弟関係があるというのであれば、なおのこと、私を用いた会社のビジネスそのものが、キリスト教であるとは言えません。


 実際、このビジネスの会社は風俗の仕事をしている人々にビジネスの機会を差し伸べたこともあるのではないかと思います。


 しかし、このビジネスをしている人々の中にはあらゆる職業の人々がいて、警官や政府関係者の中にはこのビジネスを副業としてしている人がいるようです。


 ジヨージアの女性警官が、このビジネスをしていることを隠しませんでした。


 そして、ワーカーは、私が様々な経験をしてどんな反応をするかを観察しています。


 そのため、私が多くの人々とセックスをすれば、多くの人々が、快感を味わえて、良いと思うのかもしれません。


 あるいは、聖書の性道徳を信じてないので、私に複数の人々とセックスをさせようとしているかもしれません。


 そのようにして、一妻多夫のような生活様式を推進しようとしているワーカーもいるかもしれません。


  ちょうど、オウム真理教の創始者麻原が、宗教の儀式として多くの若い女性とセックスをして、多くの女性を妊娠させていたようにです。


     でも、私は聖書に反する生活様式を推進しようとは決して思いません。


  あるいは、会社のワーカーたちの中には、神を信じておらず、私が圧力をかければ容易に淫行をするだろうと考えて、そのような状況を作って観察してしている人もいるかもしれません。


(4)同棲に関する聖書の神の見方


 聖書の認める結婚は一人の夫に一人の妻ということです。(創世記2:24)


  そして、夫婦が一生涯死ぬまで連れ添うのがエホバのご意志です。(マダイ19:4-6)



 神は夫婦が生涯連れ添うことを求められる


 それで、イスラム教徒が二人目以降の妻を持つなら聖書の神の目に淫行をしていることになります。


 さらに、今日、多くの人々は籍を入れずに同棲して、籍を入れてないのだから、独身だと自称することがあります。


 しかし、聖書時代、アブラハムやサラ、イサクやヤコブの時代には、王たちは、王に結婚を届け出ることを求めませんでした。


 通常、単に、婚宴を行って、結婚したことを親族や近所の人々に知らせて、一緒に住み始めることで、結婚したとみなされました。(創世記24:67)


    さらに、キリスト以前は、一夫多妻が受け入れられていました。 アブラハムも、 妻のサラに勧められて、子供をもうけるために別の若い妻をめとりました。


  でも、キリストの到来以降、キリストはご自分の弟子たちの間に、一夫一妻制を回復されました。(マダイ19:4-6)


  離婚は淫行という理由以外には、神に認められません。(マダイ19:9)キリストは、最初の一夫一妻制を回復されました。


 今日では、'事実婚"と いう言葉があります。聖書時代の事例を考えれば、籍を入れずに同棲して性関係を持っているカップルも、エホバ神から見ると、ご夫婦だと思います。


  ですから、エホバは夫婦、あるいはセックスパートナーが生涯連れ添うこと、セックスだけは二人の間たけで、行なうことを求められています。


 同棲している二人は、神の目から見ると、夫であり、妻です。それで、彼らは、他の人とセックスする権利はありません。それは、神の目から姦淫になります。


  しかし、今日では政府は国民に結婚を届け出ることを求めるようになりました。


 クリスチャンであれば、政府の要求に従って、結婚届けを出すべきです。(ローマ13:1)そのようにする方が様々な政府の扶助の恩恵を得られます。


(5)同性愛を避けるだけで十分か


 聖書は同性愛を認めていませんが、神の是認を得るため、既婚者がゲイを避けるだけで十分なのではありません。


 同棲しているセックスパートナー以外の異性とセックスすれば、それは、神の目から姦淫となります。それは、神の律法違反となります。


(6)会社のワーカーたちは戦争に対してどんな立場なのか


  彼らの中には私を政治目的で利用しようと考える人々もいるかもしれません。


 私の聖書預言の解釈を、反米のようにみなす人もいると思います。それで、私をジャンヌダルクのように利用しようと考える人もいるかもしれません。


  ジャンヌダルク、すなわち、反米の軍隊の女司令官のように私が行動することを望むワーカーもいるかもしれません。


  でも、私は米国やNATO の戦争だけでなく、ロシアの戦争にも反対です。クリスチャンは、武器をとつて戦う兵士となるべきではありません。


 それで、私はとこかの国家の側に立つのではなく、聖書の神の律法に従い、すべての戦争に反対です。


 ですから、私は将来、ウクライナ難民のような戦争難民を支援する仕事を中東と中央アジアですることを希望しています。


 おそらく会社のワーカーたちは、一人一人、戦争や殺人に対する立場は違うのではないかと思います。



(7)  神の律法に関する雅子の立場


 私は長年、熱心なエホバの証人でした。エホバの証人という組織は、聖書の律法に固く従うことで、知られているキリスト教の組織です。


 私は今はエホバの証人ではありません、聖書預言解釈の違いのためエホバの証人の組織から排斥されました。


 でも、証人たちが、聖書の教えに忠実に従つて、殺人や淫行や偶像崇拝や同性愛を避けるのは正しいと思います。


 私は証人と聖書を学ぶ前から神と聖書を信じていたので、それは、証人ではなくなった後も変わりません。


 それで、証人ではない今も、聖書の神の律法には忠実に従うよう努力をしています。


 私は聖書の神の存在を信じており、その方を愛しています。それで、聖書の教えに従っているので、決して、結婚関係外の性関係を持とうとは思いません。


 私は独身ですから、セックスは避けます。そして、私は生涯独身を保つことを願っています。


  また、私はクリスチャンですから、結婚するとしたら、クリスチャンとのみします。でも、私は

クリスチヤンの夫や恋人さえ探してもいません。


 私は聖書の研究や神のご意志を 行なうことに専念したいです。


 また、私は売春婦のようにお金をもらって性関係を持とうとも思いません。それは、エホバに憎まれるからです。


 ただ、私の場合、異性の友達は歓迎です。


  また、私は反米主義なのではなく、あらゆる戦争に反対です。聖書は、クリスチャンの殺人を禁じています。


 ですから、私は米国の戦争に反対であるだけでなく、ロシアによる戦争にも他の諸国家による戦争にも反対です。


 聖書に従うクリスチャンは、戦争したり殺人をしたりするべきではありません。


 私はアルメニアで偽雅子の一人が私雅子のふりをして、プーチン大統領に電話をしてウクライナ侵攻を始めるか、継続するよう奨励した事を知りました。


 それで、私はプーチン大統領とゼレンスキー大統領に、聖書に基づいて何通も手紙を書いて、停戦をお勧めしました。


  教会の牧師の中には、証人のように聖書に従って神の律法に従うことを強調すると誰も教会に来なくなると言う人もいます。


 でも、証人は以前はとりわけ、非常に増加していました。また、教会は、若者が少ないですが証人の組織には若者もわりと交わつています。


 また、エホバの証人を律法主義だと非難する牧師もいます。キリストの到来後、私たちの罪はすべて許されたと言われます。


  それは、そうなんですが、クリスチャンは、基本、神の律法に従うよう最善の努力をするべきだと思います。


  でも、私たちは最善を尽くして聖書に従うべきであって、その上で、神に従う点で失敗してしまった場合は、キリストの贖いの犠牲に頼るならば、神に罪を許していただけると思います。


 神の律法に違反するなら、基本、死ななければならないと聖書は言っています。(エゼキエル18:4)


 でも、キリストの贖いの犠牲に頼るならば 私たちは、死なないですむと思います。


  そのため、神の律法に従う重要性を強調するエホバの証人の立場が生存率がいいと思います。


 私はどんなに経済的に困難な状況になつても、売春などをお金設けの手段にはしません。また、どんなにお金に困っても、盗みはしないと思います。


(8) 雅子を物質的に支えてくださるのはエホバ神

  

  エホバは、クリスチャンが王国を第一にするとき、エホバが食べ物や着るものなどの必要物は、備えられるように取り計らうことを約束してくださっています。(マタイ6:33)


  ですから、その経路がどこになつても、私を物質的に支えてくださるのはエホバ神です。


 ですから、その経路が、親であつたり、教会であつたり、政府であつたり、個人であつても私を支えてくださるのはエホバ神です。ですから、私は、エホバに頼りますし、私は盗みをする必要はないです。


  反対に淫行や盗みを行なうと、聖書の教えに反して、神の是認を失います。神からの日常生活への支援と祝福を失ってしまいます。


 それで、私はそれらの偽雅子と間違われることを望みません。


(9)雅子崇拝?


  ある人々は、このビジネスは雅子崇拝であると非難する人がいるかもしれません。


 しかしながら、私雅子は、アルメニアで数ヶ月、ホームレスをせざるを得ませんでした。おそらく、偽雅子のせいだと思います。ですから、ビジネスは、雅子崇拝にはなつていません。


 確かに、私たちが、崇拝するべきなのは、創造者である至高の神エホバです。私たちが従うべきなのは、神のみ言葉聖書です。


 私は間違いをすることがあり、全知全能の神のようにすぺての状況を知っているわけではありません。


 私が第一に愛し崇拝しているのはエホバであり、私は他の人々にもそうするよう勧めています。


 私は自分の崇拝を促進してはいません。かえって、偽雅子たちに虐げられているというのが、総体的に正しいかもしれません。