(1)ヒンズー教の三神一体の教えとキリスト教世界の三位一体の教え
ヒンズー教徒はインド国内に約10億人いるとされ、インドとネパールで、多数派の宗教です。インダス文明の時に、ヒンズー教とのつながりがある習慣が見られます。日本の多数派の宗教である仏教を創始した仏陀はヒンズー教の背景を持っていました。
紀元前1,200年から1,000年頃にインド北西部で多くの神々について教えているヴェーダが成立しました。その中には奥義書であるウパニシャッドが含まれています。しかし、ヒンズー教の聖典が成立したのは、イスラエル人がエジプトから脱出して神からモーセの律法を与えられたイスラエルの国家ができた時よりも、何世紀も後になります。
ヒンズー教は、基本的に多神教です。ブラフマー神、ビシュヌ神、シバ神を主に崇拝します。この三つのそれぞれの神もさまざまな化身を持っています。
ブラフマーは、シバとビシュヌと三神一体を構成していると教えています。三神一体とは、本質は一つで、三つの様相で現れているという教えです。
三神一体とは、ヒンズー教のサンスクリット語でトリムールティ( त्रिमूर्तिः trimūrti、"3つの形"の意)という語です。これは、キリスト教の三位一体がtrinity(トリニティ英語)という語であるのと似ています。どこかでつながっている語なのでしょう。
WL - originally posted to Flickr as R0019100 Trimurti ellora
インドのエローラ石窟寺院のトリムールティ像
三つの神が同じ神を意味しているという教えは、一部のキリスト教会にも見出せます。
ヒンズー教の神々の中心はブラフマー神・ビシュヌ神・シバ神
インドで書かれたウパニシャッドの教えの中心は、アートマンと言われる個人我が創造者ブラフマン(宇宙原理・宇宙我)と同じで、一部であると教えています。さらに、ブラフマンは、創造者のブラフマーと同じであると教えられています。
ウパニシャッドによると、アートマンは、永遠不滅で、離脱した後、心臓に宿ります。ですから、アートマンは、不滅の霊魂のようなものです。
(2)多くの神々を崇拝するヒンズー教と神道・一神教のユダヤ教とイスラム教とキリスト教
さらに、ヒンズー教では他の多くの神を崇拝します。ですから、ヒンズー教は、多神教という点では、日本の八百万の神の崇拝に似ています。
しかし、厳格な一神教であるユダヤ教とイスラム教は三位一体の神を認めていません。当然、ユダヤ教が受け入れているモーセ五書には三位一体の神の概念はありません。
イスラム教の方は、神を三位一体の神として崇拝することを受け入れません。イスラム教ではムハンマドは重要な預言者であるとしても、神ではなく、神について教えた人間だからです。
ヒンズー教は創造者を認めていますが、その神は唯一至高の神ではありません。ヒンズー教では万物の創造者だけでなく、多くの神々を受け入れています。神道が八百万の神を信じるのは、ヒンズー教と似ています。
ヒンズー教では、ビシュヌ神のひとつの化身が釈迦であるとみなしています。そのため、インドでは、仏教はヒンズー教の一派であるとみなされています。
もし、聖書が述べる通り、ただひとりの創造者なる神が存在し、神に反逆して、神として崇拝されたいと願う悪魔サタンや悪霊たちが存在するのであれば、創造者だけでなく多くの神々を崇拝する宗教を作り出したいと望むのではないでしょうか。
(3)ヒンズー教と仏教の輪廻の教え
ヒンズー教の基本的な教えのひとつは、死後に生まれ変わり永遠に転生するという輪廻の教えです。
ヒンズー教の教えでは、前世の行いが良いと次には、バラモンなどの高いカーストに生まれ変わり、行いが悪いと低いカーストに生まれ変わったり、動物に生まれ変わったりします。
カースト制度というのは、身分制度です。ヒンズー教では、四つのカーストの身分があります。ヒンズー教の教えでは、生まれたカーストから生涯離れることができません。
ヒンズー教では、動物や昆虫も人間の生まれ変わりとみなしているので、動物や昆虫を殺さないように教えています。しかし、人間を戦争や法制で殺すことは認めています。
しかし、ヒンズー教の教えからすると、人間は前世で良い行いをして動物ではなく人間に生まれてきたのですから、動物や昆虫より、人間の方が重要で価値があるでしょう。動物の殺生を避けるのに、より価値のある人間を殺害するのを許容するのは間違っているのではないでしょうか。
⑷ヒンズー教と仏教の業とカルマと因果応報の教え
業(ごう)とは、カルマに由来し、行為、所作、意志による身心の活動を意味する語です。仏教およびインドの多くの宗教の説では、善または悪の業を作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報いが生じると教えられています。
インド発祥の宗教、とりわけヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シーク教と道教において、輪廻と強く結びつく概念です。つまり、善意と善行は良いカルマと幸福な転生をもたらし、悪意と悪行は悪いカルマと悪い再生をもたらすと教えられています。
(5)ヒンズー教と仏教の地獄の教え
ヒンドゥー教徒としてなすべき務め(ダルマ)及びなすべきでない行為(アダ ルマ)を規定している法典というテキストがあります。最も有名なのは、西暦前2世紀から西暦2世紀に成立したとされる『マヌ法典』で、2番目に有名な法典が、推定6世紀ごろ成立した『ヤージュニャヴァル キヤ法典』です。
その『ヤージュニャヴァルキヤ法典』の転生の教えに、地獄の教えが見られます。その書第 3 巻には、「大罪を犯した者は、大罪によって負う恐ろしくかつ蔑視される 諸々の地獄を経験し、業が消滅した後に、再びこの世界に生まれる。」とあります。
大きな罪を犯したものは、罪を滅ぼす儀礼によって罪が無効になる場合があるとされています。 その罪を滅ぼす儀礼を行わないならば、地獄に行くと次のように教えています。「プラーヤシュチッタを行わず、罪に耽り、後悔しない者は、苦しく厳しい地獄に行く。」
ちなみに、日本の仏教の閻魔大王はインドのヒンズー教から来ています。ヒンズー教のリグベーダには、人間の祖とされるヤマが出てきます。このヤマは後代になって地下の地獄で死者を裁き、生前に悪行を行った罰する恐るべき神とみなされるようになりました。
このヤマは中国に伝わり、閻魔王として、地獄の主とされ信仰の対象とされました。日本では聖徳太子は、大阪市に閻魔堂を創建したので、地獄の閻魔王を信じていたことが分かります。平安時代の末に閻魔大王は一般民衆に広く信仰されるようになりました。
オウム真理教は地獄の教理を教えていたので、確かにヒンズー教の影響を受けています。
(6)聖書の神は地獄を作らなかった
聖書の中では、火でさいなむ地獄があるとは教えていません。エレミヤ書の中で、エホバ神は、当時のイスラエル人が子供たちを火で焼いて捧げたことについて次のように言われました。「彼らはヒンノムの子の谷にあるトフェトの高き所を築いた。自分たちの息子や娘を火で焼くためである。それはわたしが命じたこともなければ,わたしの心に上りもしなかったことである」(エレミヤ7:31)
ですから、エホバ神は、人間を火で焼いて苦しめることを望まれる神ではありません。聖書は死者は無力で、神をたたえることもしないと述べています。(詩編88:10)エホバ神が悔い改めないで罪を犯し続ける人々に与える将来は、単に死んで無意識になることです。(伝道の書9:5)
しかし、聖書は神に従い続ける人々に天かこの地上での永遠の命を差し伸べています。
そして、エホバ神はイエスに裁きをゆだねておられます。人を裁くのは、閻魔大王ではなく、イエス・キリストが裁きます。イエスは確かに人が生きている間の行いに基づいて裁かれます。悔い改めない罪人は、復活させることをしないという方法で罰を与えるだけです。(マタイ25:46)
ですから、地獄で悪行を永遠に責めさいなむという概念は、悪霊に由来しています。そして、永遠の火の責め苦の地獄の概念は多くの宗教に見出すことができます。
(7)神通力を行使できるヒンズー教のグル
サンスクリット語のグルとは、「指導者」「教師」を意味する語で、「導師」「尊師」とも訳されます。狭義にはヒンドゥー系のヨーガ等の指導者を言います。ヨーガにおけるグルは、弟子にとって神の化身ともいえる存在であり、信仰の対象です。ヒンズー教のオウム真理教では麻原がグルと言われていました。
(8)ヒンズー教のグルのひとりサイババは輪廻を教え神通力を行使しキリスト教を推進してはいなかった
日本でも有名なヒンズー教のグルの一人は、インドのサティヤ・サイ・ババ( 1926年 - 2011年)です。インド国内では大統領や首相など多くの要人も聖者として認める霊的指導者です。インドのいくつかのアシュラム、病院、学校があるほか、世界126カ国に1,200のサティヤ・サイ・ババ・センターを作り、国内外に数百万もの信奉者がいました。
1940年、インドの貧しい村の男の子が、14歳の時、自分はシルディ・サイ・ババというインドの霊的指導者の生まれ変わりで、シヴァとシャクティの化身であり、人々の悩みを取り払うために降臨したと宣言し、サイ・ババと名乗り始めました。
家を出てから説法を始めると、不治の病を治すといった数々の奇跡が人々に知られるようになり、サイ・ババの名前は次第にインド全土に広がりました。サイババは、さまざまな社会奉仕を無料で行いました。無料で病院や学校を作ったり、水のない村に水を供給するプロジェクトを行いました。2000年代には、インド元大統領、インド元首相をはじめ、インド各州の要人などが、毎年サイ・ババを表敬訪問しました。
サイババの教えは、神は一人で、人類は兄弟であると教え、人々に愛をもって仕えなければならないと教えました。彼の教えは、聖書のキリスト教の教えと似ています。しかし、やはり、サイババは聖書から教えていたわけではなく、キリスト教徒でもありませんでした。
ヒンズー教の輪廻を教え、自らを過去生の生まれ変わりであり、ヒンズー教の神の化身とみなしていました。ですから、サイババは聖書の神エホバの崇拝者ではなく、エホバの崇拝を推進していたわけではありませんでした。
User:SSB
ヒンズー教のグルのひとりサイババ
サイババがとても無私の良いことを大々的にしたことは認めなければなりませんが、聖書は、「サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです。 したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありません。」と述べています。(コリント第二11:14,15)
ですから、彼はとても良いことを行ったとしても、その結果は、人々を聖書の真の神から引き離し、悪霊を崇拝させ、人々に偽りを信じさせることになりました。私たちは聖書に基づいて、物事を判断する必要があります。
(9)ヒンズー教の行者が行う霊との合体と神通力の習得
ヒンズー教徒のヨガの行者は、精神の集中と瞑想により思いを空にすることにより、神との一体感を味わえるとしています。
しかし、イエスは心を空にすることの危険性について話されたことがありました。イエスは、悪霊が人から出てきて、その人の所に戻ってくると、きれいに掃かれているならば、他の七つの悪霊とともにそこに再び住み着くと説明されました。(ルカ11:24-26)
ですから、心を空にすると悪霊にとりつかれる隙を与え、さらに、多くの悪霊に取りつかれる危険があります。心を真理で満たし、義を愛するようにすることが必要です。(エフェソス6:11-16)
さらに、ヒンズー教のヨガの行者は、そうした精神集中や修行によって空中浮揚やテレパシーや千里眼などの超能力を得られる場合があります。聖書はそうした超能力の存在を否定はしていませんが、そうした霊能力は悪霊に支配されて得られる力だと説明しています。(使徒16:16-19)
【動画アリ】空中で静止する僧侶! フワフワと浮く身体=ネパール
上のリンクには、超常現象研究家による、歴史的に見られた空中浮揚の例が挙げられています。この方の説明によると、そうした空中浮揚は、欺きのトリックによるまやかしもありますが、事実である場合もあると言っています。
上で説明したように、聖書は、魔術や呪術や占いが実際に存在することを否定はしていません。(申命記18:10-12)しかし、それが真の神エホバの敵対者である悪霊たちの力によると述べています。(使徒16:16-18)
ですから、修行によって悪霊たちから影響を受けて、いわゆる神通力や超能力を身に着けることは可能です。しかし、悪霊たちに支配されるなら、最後には悪霊たちからひどい目に遭わされることになります。
悪霊たちは、自分たちが将来神から滅ぼされることが分かっています。(マタイ8:29)そして、人間を愛しておらず、人間を自分たちの滅びの道連れにすることしか考えないからです。
心を空にしたり修行をして悪霊に支配されることにより神通力を身に着けることを追い求めないのが賢明
なおヒンズー教では、地獄を教えています。また、仏教でも地獄を教えています。また、キリスト教では、地獄を教える教派と地獄を否定する教派があります。日本ではオウム真理教がヒンズー教と仏教の影響を強く受けていて、地獄を教えています。聖書そのものは、死者が意識がないと述べています。(伝道の書9:5,6)
ですから、ヒンズー教は不殺生の教えを説いたり、サイババのように利他的な行いをするかもしれません。しかし、ヒンズー教のグルの神通力は、聖書からすると悪霊から来ています。聖書のまことの神から来ているわけではいりません。また、仏教やヒンズー教の輪廻と地獄の教えはキリスト教の聖書の教えではありません。
わたしは宗教を見る時、聖書を定規として、その宗教がまことの神から来ているか、悪霊を源としているかを判断しましょう。そして、まことの創造者なる神を崇拝しましょう。