イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(25)地域監督がルームメイトの計画を妨害し亡くなる | ヨハネのブログ

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I am Japanese female Christian Masako
Katahira, age 66.

I stay at Kagoshima,Japan after 2-year-stay of Yerevan, Armenia from September 2022.
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Yohane no blog.

  わたしはルームメイトと同じマンションに入るよう約束して、わたしの経済力からすると高額のマンションに入ることにしました。でも、若い姉妹は、その姉妹の会衆の長老にわたしと一緒にルームメイトを組むことを反対されて、その長老兄弟に従いました。今回の記事はその後に起きたことです。今度は、地域監督にルームメイトの計画を邪魔されました。でも、わたしはその結果に起きたことに驚きました。

 

 

(1)ルームメイトを再び求めて地域監督に邪魔される

 

 わたしにとってはそのマンションの賃料は高額でした。そのため、わたしは経済的な困難を抱えていたので、わたしはそのマンションに一緒に住むルームメイトをその後も探していました。ところで、わたしは近隣の会衆のとても熱心な正規開拓者の素敵な姉妹と知り合うことになりました。でも、どういったいきさつで、その姉妹と知り合うことになったのかは忘れてしまいました。

 

 その姉妹の車に乗せていただいたりしましたが、普通に楽しく会話ができました。また、その姉妹は、信仰のある積極的で明るい姉妹に見えました。わたしの住んでいたマンションにもその姉妹をお呼びして交わりました。その姉妹にわたしの住むマンションに越してこないかとお誘いしました。


 その姉妹は、そのマンションがリビングも広くてとても快適な感じのマンションだったこともあるからだったと思いますが、一緒に住むことに乗り気になっていました。


 

 ところが、後になってその姉妹がルームシェアを断ってきました。後になってその理由を知ることになりました。その姉妹がご自分のアパートで地域監督と食事の席を設けた時に、わたしのルームメイトにならないようにと言われたと彼女は言いました。長老の言うこと、とりわけ地域監督の言うことは、絶対だったので、その姉妹も従われたわけです。

 

 わたしはその姉妹とその後も仲良くしていて、地域大会の時など、親しく話しました。その正規開拓者の姉妹は、その後比較的すぐに感じの良い若い証人の兄弟と結婚されました。その姉妹は魅力的な若くて元気な姉妹だったので、その兄弟も姉妹をすぐに気に入ったのでしょう。

 

 でも、わたしは二度、経済的な困難を解決するために、他の姉妹とルームシェアをすることを大群衆の長老たちによって、阻まれました。

 

 どうして地域監督が反対したのかと思いますが、地域監督であれば、私が書いた手紙を支部を通して統治体からシェアされていたのかもしれません。何かの経路で、わたしが本部の統治体に手紙を書いたことを聞き及んでいたかもしれません。そうでなければ、反対する理由が分かりません。でも、そのことはあまり深く考えませんでした。

 

(2)地域監督が大会で聖霊で油そそがれた者であるわたしを悪く言われてその後事故で亡くなる

 

 ところで、その後、その地域監督が話をされる大会に出席しました。たぶん、地域大会ではなく、巡回大会、あるいは特別一日大会のような大会だったと思います。その時には、会衆に、ご年配の特別開拓者のふたりの姉妹が交わっていた時でした。

 

 大会や出版物で、わたしに対して良く短いメッセ―ジがありました。今は、何を言われたのか、なぜそのように感じたのかは忘れましたが、その大会で、地域監督がわたしをひどく悪く言われているのに気づきました。

 

 大会後、どうしてこのように悪く言われたのかと大会の話を記録した自分のノートを確認したことを覚えています。そして、そのことを誰かに電話で確認したようにも思います。でも、そのようにわたしがとてもひどく悪く言われていたのに気づいたのは、とても少人数だったと思います。たぶん、そのことに気づいた人がいるとしても、支部の長老レベル、もしかすると長老レベルなどとても少人数だったと思います。

 

 わたしはとても失礼だなと思いましたが、結局そのことを知っているのはごく少人数なので、気に留める必要はないと思いました。その地域監督が、統治体の指示を受けてそのような話をされたのか、あるいはただご自分の考えから話されたのかは分かりませんでした。

 

 でも、その地域監督がわたしが天的な希望を持つ者だということを知っていれば、まともに過度に悪くいうのは差し控えるのがエホバの目に良かったと思います。

 

 

 なぜなら、イエスは羊とやぎに言われました。「これら私の兄弟のうち最も目立たない人の1にしたのは,それだけ私にしたのです 」・・・『これら最も目立たない人の1人にしなかったのは,それだけ私にしなかったのです』。この人たちは永遠の死を迎,正しい人たちは永遠の命を受けます」。 (マタイ24:40,45,46新世界訳改訂版)

 

 ですから、わたしがイエスの兄弟たちのうちの最も目立たない人の1であったとしても、わたしにしたことは、イエスにしたことになり、わたしにしなかったことは、イエスにしなかったことになります。

 ところが、地域監督は、このイエスの言葉に真っ向から反対のことをされて、わたしに何かをしないと言うよりは、わたしの生活に困難をもたらされ、その上悪く言われました。また、地域監督であれば、この原則は良くご存知のはずです。


 

 ダビデは、たとえ、サウルが神に不忠実になって罪を犯していたとしても、油そそがれた者サウルに敬意を払うように極力努力をしました。(サムエル第一24:6,7)また、シムイが油そそがれた者ダビデが苦境にあった時、彼をとても悪くののしったことがありました。(サムエル第二16:5-8)結局、シムイは、ダビデの死後、ソロモン王によって処刑されました。

 

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ダビデは油注がれた者サウルが罪を犯していても最大限の敬意を示した
油注がれた者に対する不敬は神に喜ばれない





 

 また、詩編の中にも、エホバが油そそがれた者を保護されていることが記されています。神は、『王たちを戒め、言った。「私が選んだ者たちに触れてはならない。私の預言者たちに何も悪いことをしてはならない」(詩編104:14,15新世界訳改訂版)この「私が選んだ者たち」は旧版の新世界訳では、「わたしの油そそがれた者たち」となっています。


 
 さらに、イエスの言葉は仲間のクリスチャンに対して自制をしないでこきおろすような言い方をする人に、エホバ神は好意を向けることはないことを示しています。もちろん、他のクリスチャンの神の律法に反するような悪い点を正しく指摘するのは間違っていません。(格言27:9) でも、根拠もないのに自制もしないでそうした言い方をするのはどうでしょうか。


 イエスは、「
ひどく侮辱的な言葉を仲間に言う人は最高法廷に引き出されます。また,『どうしようもない愚か者!』と言う人は,火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。 」と言われました。(マタイ5:22新世界訳改訂版)


 

 聖書は仲間のクリスチャンに対する言葉の用い方に対して、エホバ神が不興を示される場合があることを示唆しています。人の口から出てくる言葉は、その人の心の中から出てきます。(マタイ12:34)そして、クリスチャンは、仲間のクリスチャンを愛さなければなりません。(ヨハネ 13:34,35)ですから、そうした言葉は、仲間のクリスチャンに対して、心の中で愛を抱いていないことを示しているからでしょう。(マタイ15:18,19)

 

 

 

 

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神は仲間の兄弟に対する口から出た抑制されない侮辱に基づいて裁かれる



 

 ですから、わたしがたとえ、罪を犯していたとしても、過度にひどく悪く言ったり、何か悪いことをしたりするのは、エホバ神に喜ばれなかったと思います。それに、イエスの右手の上にある七つの星は大群衆の監督ではなく、聖霊で油そそがれたクリスチャンの男女です。(啓示1:20)

 

 その地域監督が、わたしが統治体に書いた手紙の内容をご存知であれば、エホバ神は責任を問われたのかもしれません。また、地域監督は、聖書の中に書かれていることに良く精通しているはずの責任ある立場にある長老です。

 

 それが、その後まもなく、その地域監督の兄弟は、夏の休暇中に海で潜水をしていて、事故で亡くなってしまわれました。わたしはたぶんルームメイトを組むはずだった姉妹からそのニュースを、聞いたのではないかと思います。わたしはそのニュースを聞いてとても苦しみました。それは、わたしが一応象徴物にあずかっている神の子だったので、エホバ神が行動されたのではないかと思ったからです。

 

 その地域監督は、わたしがルームシェアをするのを妨げ、その上、大会で、いわゆる公衆の面前で、わたしをとても悪く言っていました。事情を知っていた人はごく少人数だと思いますが、いたかもしれません。それで、わたしはエホバがわたしのためにそのことが起きるようにされたのかと考え、とても苦しくてエホバ神に心の中で叫んで祈りました。

 

 あなたはわたしのために、地域監督が死ぬようにされたのでしょうかとエホバ神に尋ねました。わたしはそのことをエホバ神に望んでいなかったと祈りの中で言いました。でも、分かりませんが、エホバ神はわたしたちが祈らなくても、望まなくても、独自に行動されることがあるように思います。

 

(3)神はご自分の僕が願わなくても不敬な行為のために独自に行動されることがある

 

 聖書時代にもエホバ神は、時々神の民の間のことに突然、独自に介入されたことが記録されています。サムエル第二には、「ウザに対してエホバの怒りが燃え,真の神はその場でウザを打った。彼が不敬な行為をしたからである。彼は真の神の箱のそばで死んだ」とあります。(サムエル第二6:7新世界訳改訂版)それで、その時、ウザの不敬な行為のために、エホバ神が突然憤激されて、ウザを打ち倒されました。



 

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ウザの不敬な行為のためにエホバ神は独自に行動されウザを打ち倒された




 

 当然、そのことはダビデがエホバ神に望んで起きたことではありませんでした。(サムエル第二6:8)エホバがご自分の見地から、自主的に行動されたことです。当然、エホバ神は神の僕たちの祈りや願いを聞かれますが、神の僕たちとは別行動をとられ、独自に行動されることがあります。

 

 

  さらに、一世紀にユダヤ人の王ヘロデ・アグリッパは油そそがれたクリスチャンヤコブを剣で殺しました。(使徒12:1,2)このヘロデ・アグリッパは、ペテロを捕まえて投獄し、他の油そそがれたクリスチャンに対する迫害に手をつけました。油そそがれたクリスチャンたちの殺害と迫害の責任者でした。(使徒12:1,3)ヘロデ・アグリッパはどうなったでしょうか。

 

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ヘロデ王は油そそがれたクリスチャンヤコブを剣で殺害しペテロを投獄した





 

 「ある特別な日に,ヘロデは・・・演説を始め」ました。「集まっていた人々は,・・・ヘロデをたたえましたが、「たちまち」、「ヘロデは虫に食われて死んだ。」と記録されています。それは、実際は、 「エホバの天使がヘロデを打った」のでした(使徒12:21-23)

 

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油そそがれたクリスチャンの殺害と迫害の責任者ヘロデ王はみ使いに打たれて虫に食われて突然死んだ

 


 

 ヘロデ王は、ユダヤ人の王としてモーセの律法について知っているべき立場にあり、また、イエス・キリストを受け入れるべき立場にありましたが、彼らに対する迫害の筆頭になったために、エホバ神が独自に突然行動されて、ヘロデ王を打たれました。クリスチャンがヘロデ王に対する復しゅうを祈ったわけではありませんでしたが、エホバ神が独自に行動されました。

 

 ですから、油そそがれたクリスチャンに対する迫害はエホバとイエスの不興を直接経験することになります。ですから、油そそがれたクリスチャンに対しては、親切を示したり、協力するという立場に立つ方がエホバ神の是認を保つことになります。


 

 でも、万が一、その地域監督の兄弟がわたしに悪いことをして、その上大会で私のことを悪く言って、そのために命を落とす結果になったのだとしても、わたしはその兄弟のために祈ったので、その兄弟は楽園に復活されるのではないかと思います。

 

 

 

 このような事態が起きるのを避けるためにどうしたらいいのかを考慮した記事を作りましたので、読まれてください。

 

イエスと統治体の権威に関する聖書的な考察(27)証人と異なる解釈の油そそがれた者をどう見なすか


 

(4)聖霊で油そそがれたクリスチャンに対する迫害や行動はどのような結果になるか

 

 でも、すべての聖霊で油そそがれたクリスチャンの男女がそうだと思いますが、だからと言って、ひとりひとりエホバ神から奇跡的な保護を保証されているわけではないと思います。一世紀のクリスチャンも、神に是認されていても、ステファノやヨハネの兄弟ヤコブのように寿命が来る前に迫害で命を失った人もいました。(使徒7:59,60;12:2)

 

 一方、使徒ヨハネのように長生きした人もいました。また、使徒パウロや使徒ペテロは、死んでも当然な状況をエホバの助けで、生き延びることもありました。(使徒12:2-5,11)

 

 物事は、自由に発展していきますし、突然の事故や病気や事故死も起こります。(伝道の書9:11,12)ですから、エホバ神は聖霊で油そそがれたクリスチャンを保護されますが、それでも、わたしが不死身ということはありませんし、殉教することがあり得ると思います。さらに、寿命が来る前に、病気で死ぬこともあると思います。

 

 ただ、聖霊で油そそがれたクリスチャンの命が迫害で奪われることになると、大患難が起きる結果になると思います。なぜなら、啓示の書によると、大いなるバビロンの滅びが生じるのは、彼女が聖なる者たちや預言者たちの血を流したからだからです。(啓示18:20,24)

 

 イエスは、「この世代は,世が始まって以来流された全ての預言者の血の責任を問われる」と言われました。(ルカ11:50)ですから、イエスは、一世紀のエルサレムにローマの帝国の軍事攻撃が行われる結果になったのは、預言者を含むアベルからゼカリヤまで流された血のためだと言われました。(ルカ11:51)

 

 ですから、エホバ神はご自分に忠実な信仰を抱く人々を大切にしておられるので、その命を奪うと、そうする国家や組織や人はエホバ神から復しゅうされることになります。エホバ神は、ご自分のご意志を行う者たちに、『触れる者たちは私の瞳に触れているのである』と言われています。 (詩編17:8。ゼカリヤ2:8)

 

(5)しばらくして事情によりそのマンションを引っ越すことになる

 

 わたしはわたしにとっては高額の賃料のマンションに住み続けました。その当時は、時間が経つうちに、英会話グループの生徒の数が増えて、経済的に好調になったので、なんとかその家賃でもやっていけるようになりました。

 

 わたしは、ひょっとして統治体は以前は私が誰かと結婚することを望んでいたのではないかと思います。油注がれた姉妹は、教える資格はないので、誰かと結婚すれば、その兄弟がわたしが言ったことを他の人に教えることができると考えられたかもしれません。

 

 一時的には、経済問題のために、結婚した方が助かるかなと思ったこともありました。でも、わたしは、早朝の聖書朗読と野外奉仕などのエホバへの奉仕に忙しい生活に満足していてその生活を続けたいと望んでいました。その生活に専念したかったので、基本的に結婚したいとは考えていませんでした。

 

 現在でも結婚を望まないのは同じです。これからも死ぬまで、独身で聖書研究にできるだけ時間をとりたいというのがわたしの願いです。

 

 でも、また、別の機会に話しますが、水の事件のために、わたしは別のアパートに引っ越しました。それは、賃料の節約のためもありました。また、ストーカーに悩まされたためもあります。