第六の封印が開かれると、証しの業と神の言葉のためにほふられた魂が、神に自分たちの血の復しゅうを叫び求めています。神の言葉のためにほふられるとはどのように殺されることを意味しているのでしょうか。聖書は、死んだ者は無意識だと言っているのに彼らは、なぜ、叫んでいると書かれているのでしょうか。今回は、この点を考えます。
(1)神の言葉のためにほふられるとは
イエスは、剣をとって戦うことを初期クリスチャンに禁じられました。(マタイ26:52)ですから、もし、徴兵制がしかれて、兵隊に取られて、武器をとって戦うことを命じられても、クリスチャンは、政府のその命令に従うことはできません。
さらに、クリスチャンは、上位の権威に敬意を払うようにと勧められていますが、崇拝をすることは禁じられています。
十戒の中には、エホバ以外のあらゆるものを崇拝することが禁じられています。「あなたは自分のために,上は天にあるもの,下は地にあるもの,また地の下の水の中にあるものに似せたいかなる彫刻像や形も作ってはならない。それに身をかがめてはならず,さそわれてそれに仕えてもならない。あなたの神であるわたしエホバは全き専心を要求する神であ(るからである)」と命じられています。 (出エジプト20:4,5)
ですから、クリスチャンは、エホバ神以外の物に敬意を払っても、崇拝を捧げることはできません。このことを考えると国旗を崇拝すること、つまり、国旗掲揚は、聖書の律法に忠実なクリスチャンはできないでしょう。さらに、国家に敬意を払っても、絶対的な忠誠を誓うことはできないでしょう。
ペルガモンは皇帝崇拝の強い所だったので、「忠実な者であるアンテパス」は皇帝崇拝を拒んでイエスに対する信仰を否定しないで殉教したと考えられます。(啓示2:13)ですから、アンテバスは、神の言葉のためにほふられたクリスチャンの典型的な例です。
世界の各地には、徴兵制が施行され、それを拒否する者たちは、処刑される場合もあります。イスラエル、トルコ、ギリシャ、デンマーク、ノルウェー、スイス、オーストリア、ウクライナ、ベラルーシ、韓国、北朝鮮、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ロシア、ベトナム、北アフリカ諸国などが徴兵制を施行しています。
良心的兵役拒否が非合法であり、代替役務が制度化されていない国家が北朝鮮、韓国、トルコなどです。ですから、サタンの支配する世では、神に忠実なクリスチャンは、命を失う殉教者が少なからず生じます。
(2)魂が神に血の復しゅうを叫び求める
祭壇の下の魂は、エホバに対して、「あなたはいつまで裁きを控え、地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか。」と大声で叫びます。(啓示6:10)これは、殉教した人たちが、文字通り復しゅうを叫び求めているわけではないでしょう。なぜなら、死者は沈黙して、エホバに祈る事さえできないからです。(詩編115:17)
しかし、昔、エホバは、カインに対して「あなたの兄弟の血がわたしに向かって地面から叫んでいる。」と言われました。(創世記4:10)エホバに忠実なアベルは彼の兄弟カインに殺害され、その魂の血が地面に流されたのでした。
すべてのことを見ることのできるエホバは、カインがアベルを殺害したことを見ておられました。それで、流されたアベルの不当な血は、エホバに対して、その復しゅうを叫び求めているように感じさせました。実際に死んだアベルが叫んでいるのではありませんでした。神がそのように感じられたのです。
カインの殺人は、だいぶ後になって復しゅうが執行されました。一世紀にローマ軍により、エルサレムに祭りで集まっていたユダヤ人が大量に殺されました。
イエスは、一世紀のユダヤ人に対して、「義なるアベルの血から・・・バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨む」と言われました。(マタイ23:35)一世紀の大患難は、カインによるアベルの殺害の復しゅうという意味もあったのです。
神は、ご自分に忠節な者をひとりひとり貴重なものにみなしておられます。(詩編116:15)ですから、この終わりの時に、神に忠実な者の命が奪われる時、その血はあたかも血の復しゅうを叫び求めているように神に感じさせます。それは、神の怒りと憤りを引き起こし、大患難が生じます。(啓示6:16,17;16:19)
それで、大患難は見方を変えると、エホバ神がご自分の僕たちの命を尊重しておられていることの証明です。大患難は、とりわけ、大いなるバビロンがご自分の僕たちの命を奪ったことに対する神の怒りと憤りの表明として生じます。(啓示17:6)
エホバ神は、ご自分の僕たちを愛しておられるので、ご自分の僕たちの命が奪われることを見ながら、そのまま見逃すことはできないのです。