祭壇の下の魂は、エホバに対して、「あなたはいつまで裁きを控え、地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか。」と大声で叫びます。(啓示6:10)今回はここの解釈にトライします。
(1)ほふられた者たちの魂が祭壇の下にいる
神の言葉や証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのが見えました。(啓示6:9)どうしてほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのでしょうか。
明らかに、これは、クリスチャンが神に忠実を保つために、殉教することを意味しています。イエスは、ご自分の臨在の前に、人々がクリスチャンを患難に渡し殺すことを予告されました。(マタイ24:9)
聖書の中では、「血は魂であ(る)」とあります。(申命記12:23。創世記9:4 )ですから、血は魂を表わしています。さらに、昔、モーセの律法の下で、動物の犠牲が祭壇で神に捧げられ、その血は祭壇に向けて振り掛けられました。(申命記12:27。歴代第二29:22) その時、一部の血は、祭壇の下にも振り掛けられていたでしょう。
それで、祭壇の下にある魂とは、魂がその祭壇で犠牲にされ、血がその祭壇の下に流れていることを示していると思います。
それで、神は、クリスチャンの殉教を動物の犠牲と同じようにみなされていることが分かります。 詩編には、「エホバの目に貴重なもの,それはご自分の忠節な者たちの死です。」とあります。(詩編116:15)つまり、殉教が神に対する忠実のゆえに起こる場合、それは、ご自分にささげられた動物の犠牲のように、いえ、それ以上に、神にとって貴重なものです。
神に忠節な者の殉教は神にとって貴重なもの
ですから、神に対する忠実さのゆえに殉教する人は、神によって復活されます。(使徒24:15)
(2)証しの業のためにほふられるとは
証しの業のためにほふられるとは、証しの業を続行するために、殺されることを意味しています。神の言葉聖書は、政府に従順であることを求めていますが、政府を崇拝して盲従することは禁じています。(ローマ13:1)
例えば、使徒たちは、エルサレムの宗教指導者たちから、イエスについて語ることを禁じられました。(使徒5:28)聖書は、上位の権威に服しなさいと命じていますが、王国について証しを行ない、弟子を作るために、イエスの教えを教えることは、神とイエス・キリストの命令です。(マタイ28:19,20)
宗教指導者たちは、彼らを除き去ってしまいたいと願ったのですが、使徒たちを擁護する発言をする者が現れたので、彼らは、「使徒たちを呼び出してむち打ち,イエスの名によって語るのをやめるようにと命じてから,彼らを去らせ」ました。(使徒5:40)
もし、使徒たちが宣べ伝えることをやめて、黙ってしまったら、人間の政府を神より上において、野獣を崇拝することになったでしょう。それで、使徒たちは、「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。」と述べました。そして、人間の政府の命令に盲従するのではなくて、宣べ伝える業を続行しました。(使徒5:29)