箴言には、「『悪に仕返しするのだ』と言ってはならない。エホバを待ち望め。そうすれば、神があなたを救ってくださる。」と述べられています。 (箴言20:22)聖書の中には、エホバに依り頼んで、神の救いを経験したという実例があります。
この点で、際立った実例となっている一人は、ダビデです。ダビデは、サウル王から何度も殺されそうになりましたが仕返しせずに生き延びてエホバ神の助けで王となりました。
サウル王は、預言者サムエルにより油そそがれイスラエルの王となりましたが、エホバに不忠実になっていました。ダビデは、次にサムエルによって油そそがれました。ダビデは、サウル王の武具持ちになり、また、サウル王のために楽器をかなでる者となりました。(サムエル第一16:21)さらに、サウル王の娘婿になりました。
ダビデはサウルを殺して王権を奪おうとは少しも考えていませんでした。しかし、サウルはダビデの意図を悪くとり、ダビデが自分から王権を奪い取ろうとしていると考えました。(サムエル第一18:8)
そして、ダビデを殺そうとして追いかけまわしました。そのために、ダビデは荒野でサウルから逃げ回らなければなりませんでした。(サムエル第一19:10)
Saul
Attacking David (david17)
ダビデはサウル王から何度も殺されそうになりました
その間、ダビデは何度もサウルを殺す機会がありました。でも、ダビデは、自分でサウルに対して復しゅうしようとはしませんでした。(サムエル第一24:6,11)
何度も、サウルの命を容赦しました。ダビデは、エホバの油そそがれた者を殺すことは罪だと考えていました。(サムエル第一26:9)それで、神に罪を犯すよりは、自分の命が危険にさらされる状態をそのままにしておくという道を選びました。
David prevents Saul from being killed ( david16)
ダビデはサウル王に仕返しせずに何度も命を容赦しました―後にサウルは敵に殺されダビデは王になりました
ダビデはこう言いました。「エホバが彼に一撃を加えられるであろう。あるいは,彼の日が来て,死ななければならなくなるか,戦いに下って行き,きっと一掃されることであろう。」(サムエル第一26:10)
それで、自分が手をくださなくても、エホバがサウルを処置され、その時まで神は自分を守ってくださると考えました。ダビデは、エホバに将来のイスラエルの王として油そそがれていたので、エホバが自分をイスラエルの王としてくださる時を待ちました。
結局、サウル王はフィリスティア人との戦いで命を落としました。そして、ダビデは、イスラエル全体の王として認められることになりました。ダビデが復しゅうをせずに、神を待ち望んだのは、無駄になりませんでした。
しかし、過去において復しゅうをしようとしなかった神の僕が、ダビデのように全部敵の迫害を生き延びたわけではありません。例えば、イエスは敵によって杭につけられ、命を落としました。
イエスは、奇跡を行なえました。それで、み使いの十二軍団を遣わしてもらうようにエホバに祈願をして、敵を壊滅せることさえできたのですがそうしませんでした。(マタイ26:53)
しかし、イエスは地上に人間として生きている間は、自分を捕えて殺そうとした敵に復しゅうしようとはしませんでした。しかし、イエスは死に至るまで神に忠実を保ったので、三日目に神によって不滅の霊者として復活させられる結果になりました。(使徒10:40)
イエスの場合も仕返しをせずに神を待ち望んだことによって報われました。
BERNARD PLOCKHORST (jesusresurrection1)
イエスは仕返しせずに殺されましたが神によって復活させられました
そして、イエスはエホバ神によって天の王権を与えられ、将来地上の邪悪な者たちを一掃することになります。(ダニエル7:13,14。啓示19:14,15)その時には、完全に神のご意志に調和して合法的に神の裁きを行なうことになります。
それで、エホバ神を待ち望んで敵に復しゅうしないというクリスチャンの立場は、生きていても殺されてしまっても、 報いがあります。一部のクリスチャンは、最後には天の霊者として復活させられ、神の王国の成員になります。
また、別のグループは神の王国の支配の下のこの地上で、人間として復活させられることになります。(使徒24:15)それで、箴言20章22節の仕返しせずに神を待ち望んで救われるという言葉は真実になります。
復しゅうをして流血の罪を犯すことなく、神を待ち望んで神の律法と原則を守って神の是認を保っていきましょう。それが神からの救いを経験する方法なのです。
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