マタイ24章・続 イエスの臨在とは何を意味するか | ヨハネのブログ

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マタイ24章・続 イエスの臨在とは何を意味するか

「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在[の時]もそのようになるのです。」(マタイ24:37~39)


 先回、「マタイ24 章・イエスの臨在とは何を意味するか 」という記事の中で、イエスの臨在は何を意味するかイエスの王国のたとえ話と啓示の書から、検討してみました。今回、さらに他の聖句を検討してみたいと思います。



王国の権威を与えられたイエスの臨在の特色となる出来事として、次のような事柄が予告されています。「キリストにあってすべての人が生かされるのです。・・・初穂なるキリスト、その後、その臨在の間に、キリストに属する者たちです。」とあります。ですから、キリストの臨在の間に、イエスの追随者たちのうち、すでに死んでいた人々が復活し、イエスと共なる天の王国の共同の相続人となり栄光を受けることが分かります。(コリント第一 15:22,23。 ローマ 8:17)


また、パウロは、「わたしたちの主イエス・キリストの臨在、またわたしたちがそのもとに集められることに関して・・・。」と述べています。ですから、イエスはその臨在の時に生きている他の追随者たちをご自分と結び付いた状態に集められます。(マタイ 24:31。 テサロニケ第二 2:1)


イエスの臨在の時に、忠実なイエスの弟子たちがイエスのもとに集められるというのは、他の聖句なども考慮するならば、さらに一層大きな全世界的な権威が与えられるために、天にいるイエスのもとに霊者として復活させられるということをも意味しているのでしょう。ですから、イエスの臨在の最高潮の時には、イエスの天的な希望を持つ忠実な弟子たちが全体として、高齢のためか、あるいはおそらくイエスの弟子たちに対する迫害のため、地上での命が終わりになることを意味しているのでしょう。(ダニエル8:24。マタイ24:9)


また、イエスはその「臨在の顕現によって」背教した「不法の人」を「無に至らせ」られます。(テサロニケ第二 2:3‐8)また、人々は、イエス・キリストが「その強力なみ使いたちを伴い、燃える火のうちに」「表わし示される」時の出来事に気づくことになります。「その際イエスは、神を知らない者と、わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をするのです」。(テサロニケ第二 1:7‐9)ですから、救出の機会に注意を払わない人は皆滅ぼされてしまいます。(マタイ 24:37‐39)


それで、キリストの臨在の際には、イエスの真の弟子たちに対して究極の報いが与えられ、まず死んでいたイエスの弟子たちが復活させられ、栄光を受けることが分かります。次いで、生きている天的希望を持つ者たちにも、報いが与えられます。次いで、キリストが自分の王としての力を最大限に発揮して不従順な諸国民を裁き、従順な人々には、王国の支配の益をもたらす時であるということになります。


しかし、そのようにしてイエスが臨在の最高潮として力を表わし示される前は、イエスの目に見えない臨在を識別するのは、忠実な人々だけでしょう。それ以外の人々からは識別されないでいるのでしょう。このことは、イエスがご自分の臨在と「ノアの日」とを比較し、ノアの時代の人々は水による滅びが自分たちに臨むまで『注意しなかった』が、「人の子の臨在の時もそのようになる」と言っておられることによっても裏付けられています。(マタイ 24:37~39)



それで、イエスの臨在の最高潮は、神によって油そそがれた王であるイエスの全き権威が表明される時となります。そして、その後キリストの千年統治が始まります。



不法の人を無に至らせるということについては、良く理解できないところがあります。さらに研究していきたいと思います。この聖句についてはまた将来、別の機会に検討したいと思います。


イエスの臨在が何を意味するか二回にわたって検討しましたが、マタイ243節のイエスの臨在が何を意味するかさらに詳しく検討したいと思います。またイエスの臨在が短期間のことではなく、長い期間にわたるものであることについて次の機会に検討してみたいと思います。





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主の日に黒い馬が全地を駆け巡る