最後の一週間 | 大腸ガンで逝ってしまった双子の妹の451日の闘病記録

大腸ガンで逝ってしまった双子の妹の451日の闘病記録

2022年8月に54歳の若さで大腸(横行結腸)ガンにより逝ってしまった双子(二卵性双生児)の妹の闘病生活を兄目線で想い出しながら記録として残します。

2022年8月12日(金)~18日(木) 【G研有明病院 緩和ケア病棟】

 

妹が緩和ケア病棟に入院してから2カ月が経とうとしていた。

 

この病棟は以前『緩和ケア1か月問題』で書いたが原則30日前後で退院となるため、妹のように2か月近く入院している患者さんは珍しく、私も結構な頻度でお見舞いに来ていたので、私たちは病棟スタッフの方と顔馴染みになっていた。

 

一方で、有料個室に入っていたので個室代もバカにならなかったので、無料の個室が空いたら移動したいと申し出たところ空きが出たとのことで13日(土)に『1270号室』へと移動となった。

 

ここで私はまたしても運命的な何かを感じた。

 

部屋番号の『1270』という数字は、私たち二人の誕生日の『7月12日』と並び順は異なるものの同じ数字なので、この部屋できっと最期を迎えるんだろうなという予感がした。

 

8月に入ると妹はウトウトと寝ている時間が増えてきたが意識はしっかりとあり、私や妻のことも認識できているのでお見舞いに行くと嬉しそうな表情を見せてくれた。

 

ただ、静かにしているといつのまにか寝てしまい、しばらくすると目を覚ましてキョロキョロすることを繰り返していた。

 

また、私たちと会話したそうでしゃべろうとするのだが上手く声が出せなかったり、声を出せても言葉になっていないので、妹が何を伝えたいのか汲み取ることが困難になってきた。

 

声を出せなくなってからは何とかこちらに伝えようと紙とボールペンで文字を書くのだが、本人はちゃんと書けてるつもりらしいが、実際は象形文字のような文字だが記号なのか判別不能な状態であった。

 

我々健常者にとっては声を出して会話することも、文字を書くことも何の苦労もなく出来ることが、こんなにも大変なことになるのかと、この時しみじみと思った。

 

【この時期に行なわれていたこと】

・血圧、指先での酸素濃度、手首の橈骨動脈(とうこつどうみゃく)での脈拍測定

・血中酸素濃度が低下してきたので『鼻カニュラ』による酸素吸入

・『経鼻胃管』による胃内容物の排出

・お小水の量のチェック

・麻薬などの点滴は一切なし

 

G研有明病院の緩和ケア病棟では、患者さんへの配慮のため心電図モニターなどは一切繋がれていないため、看護師さんによる定期的なバイタルチェックや家族による見守りにより患者さんの変化をチェックするしかありません。

 

緩和ケア病棟のベランダで最後の外気浴

 

亡くなる1週間前であっても、どこかが痛いとか呼吸困難で苦しいなどの辛い症状は一切無かった。

また麻薬なども一度も使用せず昏睡状態にもならなかったので、I先生からも「本当に珍しいくらいに穏やかな時間を過ごされていますよ」と感心されるほどであった。

 

 

8月14日(日)

この日からほぼ声を出すことが困難となり、これまではストローで大好きなカルピスウォーターを飲んでいたが、自力で吸うことも出来なくなった。

 

なので、ペットボトルにストローを刺し吸い口を指で押さえると少量の液体がストロー下部にキープされるので、その状態で妹の口元に持っていき少しずつ指を放して飲ませた。

 

それでも少量の液体でさえも飲み込むのに時間が掛かり、むせてしまうことも。

 

8月15日(月)~17日(水)

お見舞いに行っても8~9割くらいはウトウトとしている状態であったので、起きている時には私達から一方的に話しかけて、妹はうなずいたり、首を振ったりしていた。

 

これまでは腕を動かすことは出来ていたが、この頃から動かせるのは首だけとなってしまったので、手を握ったり、腕や足をさすったりしてスキンシップは欠かさないようにした。

 

この頃から妹は自分の死期を悟ったのか、または自由に意思疎通が出来ないことが悔しかったのか分からないが、涙を流すことが何回かあった。

 

これは何も出来なくなった妹の最後の意思疎通方法だと感じた私は、手を握って「ずっとそばに居るから大丈夫」と声を掛け、そっと涙を拭いてあげた。

 

8月18日(木)

この日の夕方、巡回に来た看護師さんに「血圧も上が60を切ってきて、手首での脈も触れなくなってるし指先での酸素濃度も測定不能なので、今週末くらいまでかも」と言われた。

 

また、足の指先や足裏が赤紫に変色し、いわゆる『チアノーゼ』の現象が見られるようになった。(手は特に変化なし)

 

ただ、このような状態ではあったが、意識はしっかりとあり私の呼びかけには頷くことは出来ていたので、「また明日来るね!」と別れを告げ退出時間ギリギリの20時に病院を後にした。

 

帰宅後、妻には「いよいよ危なくなってきたから明日から泊まり込みする」と伝え、週末は病院に寝泊まりする準備をした。

 

旅立ちの日へ続く

 

天に召されるまで残り1日