こんにちは、根本 沙璃(さり)です。

先日、フェイスブックで話した
ことです。


私のクセです(><)
よかったら、お付き合いくださいませ。

 




【ここから、沙璃のFB】

私の悪い悪いクセで、家にいると、
飲み物を5%ぐらい残します。

 

それは、グラス、マグカップ、
ペットボトルに入ったお湯やコーヒーや
お茶です。
 

私の思いとしては、残して終わりなんじゃ
なくて、あとで、ほしくなった時に


飲み干すつもりで取っておいている
んだけど、気が付くと、冷蔵庫には
あと一口残った水や炭酸水がたまります(><)
 

 

最近、家事を積極的にしている
夫からそれを指摘されて、自覚しました!
 

そういえば、成人前から、同じことを
さんざん母に言われたことを思い出しました。


 

この、「完了」一歩手前で手を抜く、
詰めの甘さは、一種の※ビリーフなんでしょうね。

※ビリーフ:その人の人生の根幹に
なる、価値観、観念。
 

言い訳しますと、ギリギリのところの
もどかしさの中に、真の快感があるというか(爆)



【ここまで】

この投稿に関して、たくさんのコメントを
いただきました。


意外にも、私と同じような癖を持つ
共犯者の数々から(爆)



それでですね、その「共犯者」の
方々に当てはまるかは別として


私自身がフィードに書いた後に
ひらめいたことがありまして
発表してみたいと思った次第です。


それは、、、


「飲み物をほんの少し残す人の心理」



 

1、完璧主義

 

完璧であらねばならぬ
という思いは、その一方で
完璧はありえない、
ということを

知っています。


だから、肝心なところで不完全さを
作りだし、自らの不完全さを

証明しようとします。


そこには、魂の完璧さの証明が
かくされているのかもしれません。

 

 

2、寂しがり屋

飲み干す=完了を創る

人生をドラマとか、一つのストーリーとして
置き換えると、

 

次のステージに行くとき、

大事なものとの別離がつきものです。


特に、大切な人や何かを手放す
去っていく、ということが起こり得ます。


完了を体験することによって、一種の
別れを味わわざるを得ない、

 

そんな場面を受け入れたく

ないからなのかもしれません。
 

 

3、よくばり


1つを満喫すると、また次がほしくなる。

そして、そのほしいは、際限がない。


己の底知れぬ欲望を知っているからこそ
あえて、寸止めしたくなるのかもしれません。


**********

中国の古い賢者の話に
こんとん様(混沌様)の話があります。


こんとんという神がいて、
その神は、のっぺらぼうでした。


そこで、他の神々があわれんで
目、鼻、口、耳を付けてあげました。

これで、もっと充実するだろう・・・。


顔のパーツがすべてそろった瞬間・・・
こんとん様は死んでしまった、というお話。


もう一つ。


画竜点睛(がりょうてんせい)という
言葉があります。


これは、あと一つで完璧なのに・・・
大事な一点が欠けている、ということですが


この言葉の由来は

ある高名な仏師が、それはそれは見事な
龍の絵を描きました。


しかし、その龍には、眼が描かれて
いませんでした。


そこで、龍に眼を描き足しました。
すると、なんとその龍は・・・・


本物の龍になって、額から飛び出て
天まで飛び立っていった、ということです。


**********


ここで私なりに思ったことは

いろいろな意味で「完璧」に
なる時は、天に帰る時。


逆説的ですが、天に帰るために
私たちは、いろいろと魂のトレーニングを
しているのだと思います。


本来は、完璧な存在である私たち(の魂)。

(なぜならば、魂は、完璧な存在である

神様=宇宙=自然節理の一部だから)


だけど、魂は、さらに成長したい
(そのことを、確認したい)という

欲求があるので、生を受けてそれぞれの
トレーニングをしているのではないか、ということです。


さて、話がぶっ飛びましたが(笑)

魂から、心の話に戻しますと


不完全さを証明し続けるところに
自分の可能性にブレーキをかける

要素を感じるとともに、可能性を
確かめる機会にもなるのではないかと
考えています。


だけど、現実的な生活を送る中で
改善、進歩、
 
歩みよりを意図することは、
やっぱり大事なんですね。


というわけで、飲み物の残しは
改善すると、決意する、今日このごろです(^^
 
 
 
 
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