「 ルポ 誰が国語力を殺すのか 」
石井光太
ある子供が母親にこう言われたという。
「ゲームばかりしているとお父さんに怒られるよ。まぁ、今日はいいか。勉強もしたしね」
その直後、子供は激怒して母親に対して暴力を振るった。なぜか。原因は、子供が「勉強もしたしね」の語尾を「死ね」と聞き間違えたことだったという。
国語力のない生徒は言葉を文脈の中で理解できず、一語一語区切って読んだり、理解したりする … この場合だと、「べんきょう / した / しね」と聞こえるので、「勉強、した? 死ね」という誤解が生じるのだ。
という話を読んでいて思い出したのは
名探偵コナン 25巻 FILE. 5〜6 で、外国人の登場人物が、光のような女性という意味で「 shine 」と書いたものを 6歳の女の子に 死ね と書いたと誤解されたことに端を発する事件が起きます。
思いを正確に伝えることは 難しいですよね。
相手が自分と同じ言語レベルとは限らないし …
文中に上がる例では、
LINEで、友人数人がメッセージのやり取りをしていました。
女子生徒J 「 明日、みんなで遊びに行かない? 」
女子生徒K 「 行きたい! 」
女子生徒J 「 なんで来る? 」
この後、Kさんは傷ついてしまいました。なぜでしょう。
というのがあって、これは言語レベルというより、想像力の欠如なんじゃないかと思えます。
短い文章で 気持ちを伝えるのは とても難しいのです。
かの パスカルも そう言っていますが、そのことを Twitter などの短文で 気持ちを発信している人は意識しているのでしょうかね〜。
https://ameblo.jp/littlestar1965/entry-12643663324.html
「 AI vs. 教科書が読めない子どもたち 」
新井紀子
以前読んだ、これと同じ系統の本なんですが、いずれも 読んでいると ホント 気が滅入ってくるんです。
こうすれば良いということが書いてあっても、本当に必要な人には届かないんだろうな という思いがあるからです。
暮れにニュースで 経済的にひっ迫している家庭にクリスマスケーキをプレゼントしたという取り組みの話をやっていたのですが …
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221224/k10013933761000.html
本当に その日 その日を生きている人には その情報は届かないのだろうな と思ってしまうんですよね。
コロナの感染拡大で、国語力の格差も 更に拡大しただろうと思います。
最後まで読み終えることが出来ないんじゃないかと … つっかえ、つっかえ とても時間がかかって読み終えました。
余りにも 問題が大きく、かつ 身近で起きていることだからなのだと思いました。
小説は フィクションだから どんな奇想天外な設定も、ある種 残虐な表現も 読み進めることが出来るんですよね … 現実が これだと思うと 本当に気が塞ぎます。