入社してから次々に舞い込んできた
新しい世界への切符ニコニコ

社内論文の入賞から始まった
社会貢献チームでの活動、
社内誌の編集委員への推薦


そんな私の
会社員としての生活と並行して


少し前にお伝えしていた
ポーランドのペンパル君との
文通がきっかけで始まった
私の英語奮闘記、

ここからまたしばらくの間、
お付き合いいただけたら
嬉しいですおねがい


独学での英語の勉強に
限界を感じた私は

ある日、
英会話スクールの門をくぐります。

そして、
この英会話スクールを舞台に
私の世界は
大きく広がっていく事になりますニコニコ


さて、ここでちょっとだけ、
さらに遡った昔の
『失敗談』を一つだけ
聞いてくださいキョロキョロ


実は、
この英会話スクールに入る前に
一度だけ別のスクールに
入会したことがありました。

19歳の春
上京してすぐの頃のことですニコニコ

当時の私にとって、
(いえ今の私にとっても(笑)爆笑
物凄い高額な
2年コースのレッスン料を

清水の舞台から飛び降りるような気持ちで
支払う覚悟を決めたのですが…


通い始めたスクールは
何だかとっても難しく

行けば行くほど、
勉強するのが苦痛になって
通うのが負担になってしまってショボーン


…わずか3ヶ月で
挫折してしまいますガーン


後に残ったものと言えば…


「私には英語を話せるセンスがないんだショボーン
という自分に対する絶望感と

大きな大きな
ローンの返済だけでしたガーン


以来、私にとって『英語』は
人生で避けて通りたい
苦い思い出のものとなっていたのです。


そんな私が
なぜ英語での文通???

って思いますよね爆笑

そうなんです、
こればっかりは
自分でも不思議なんですが(笑)ニコニコ


小学生の頃、
文通で広がった新しい世界への
ドキドキ感やワクワク感

高校生の頃、
文通という手段で再び感じた
言葉を伝える事の楽しさ
心を伝える事の喜び

そして
1通の手紙が運んでくれる
たくさんの人たちとの
不思議な出会いおねがい


そんな貴重な経験や
たくさんの思い出が

英語が苦手というハードルをも超えて
「海外にお友達を作りたい!」

という原動力になったのかもしれませんニコニコ


そうして始まった
ポーランドのペンパル君との
『英語』での文通

そして
独学での勉強に限界を感じた私が

かつての苦い経験の時のように
挫折して投げ出すのではなく、

「自分の言葉で自分の思いを伝えたい」
「もう一度、英語を勉強してみよう」と
思えるようになったのは

きっと神様が
「もう一度頑張れ!」と
与えてくださった
チャンスだったのかもしれないと
今ではそう思っていますおねがい


そして、
再度チャレンジしようと踏み出した
あの時の自分の『決断』には
今も感謝です照れ


そして私は

「今回チャレンジして、
   それでも話せなかったら諦めよう」

これが最後のチャレンジだと思って
   もう一度だけやってみよう照れ


そう心に決めて

新たな英会話スクールの門を
くぐる事になります。


さてさて、
そんな私がその後どうなったか


続きはまた次回、
ゆっくりお伝えしますねウインク