書く事の楽しさ
伝える事の素晴らしさ
教える事の難しさ、
努力する事の意味

広い世界の入り口を教えてくれた 
数々の経験をさせてくれた
3年間という私の高校生活も
終わりに近づきますニコニコ


200通を超える
お手紙の中から始まった
新しいお友達との
「文通」という交流は
卒業を迎えるその頃も順調に続き、
本来なら、知る事のなかった
たくさんの世界を
知る事が出来ましたおねがい


高校生活3年間で得た

たくさんの友情
たくさんの信頼関係
たくさんの貴重な経験

抱えきれない程の
たくさんの宝物を胸に
卒業を迎えます。


さてさて、
卒業後の進路は、といえば
まだ触れていませんでしたね。

ここで少し、
遡って説明させてくださいねウインク


部活での南関東大会出場や
文通で始まった
たくさんのお友達との交流の中で、

「広い世界を見てみたい」
「東京に行ってみたい」

という思いが強くなります。


私の通っていた高校では
簿記・珠算だけではなく
商業経済、パソコン、情報処理、
総合実践(商取引の実践編)

などなど、

会社に入ってから必要となる基礎知識を
授業や検定試験を通して、
3年間を掛けて学びます。


そのため、
進学率よりも就職率のほうが高く、
卒業後に就職する生徒が
8割を超えていました。

地元で就職を決めたクラスメイトも
多かったのですが、

私は
東京での就職を
選択する事になります


小さな街で生まれ育ち
家族や友達に囲まれて
何不自由なく育てられてきた私

生まれ育った土地
親元を離れて上京する
その決断は

決して簡単な事ではありませんでした。

何度も迷い、悩み、
それでも、

この学生生活の中で得た経験と
これからの自分が
得る事の出来るであろう経験を想像した時に、

一度は外の世界に
身を置いてみる事もまた、
自分にとっての
大きな財産になるのでは

という結論に辿り着きますおねがい


そして両親は…というと、

猛反対されるかと思いきや
思ったより案外あっさりと
東京行きを許してくれたのは

私にとっては一番意外な事でしたびっくり


そして
その時、母が私に言った言葉。


「一度は外の世界を見てお勉強してきなさい。
 自分の力で生活する事で、
    外のご飯を食べる事で
 これまで当たり前だと思っていた
    家のありがたみが実感できるはず。
 家族のありがたみが解るはず」

「離れてみて初めて解る事は
 たくさんあるから。」


やっぱり母は正しい、
いつも先を見て
私の人生の教科書になっている
…と感じていますおねがい


以来、この母の言葉は、
私の人生において、
壁にぶつかった時、
苦しくなった時、
いつも私の
バイブルになっていますおねがい


事実、
卒業して最初の数年は、
どれだけ家族のありがたみを再認識したか、
どれだけ大切に育てられてきたのか、

改めて感じる事の多い毎日でした

そして、
父はというと

特に私に何も言ってくれる事は
ありませんでした。

「なぁんだ、
    私が家を出ても寂しくないんだねー」

なんて、

ちょっと肩透かしな
寂しいような気持ちにもなりましたが…


これには後日談がありウインク


数年後、毎年の恒例行事で、
お正月に、中学の顧問の先生の家に
仲間たちと集まった時の事

お酒のすすんだ先生が
ポロっとこぼした言葉。

先生とは地元で交流のあった私の父、
私の上京が決まった時に、
先生とお酒を飲む事があったそうです。

「あの時なー、お前の父ちゃん、
 娘が東京行っちゃうんですよーって、
   こぼしてたんだぞ。」

「娘の決めた事だから反対は出来ないけど、
   寂しいですよって、
   何度も言ってたんだぞー」


思い返したら
父も母も、
いつも私の人生の事を、
真剣に考えてくれていた。
きちんと、まっすぐに。

そして、大人になっても
私が困る事のないように
色々な形でちゃんとした
教育をしてくれていた照れ


さてさて
すっかり遡りが
長くなってしまいましたが

春、卒業後、

東京での私の新しい生活が
スタートしますウインク


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また次回ニコニコ