「書くこと」での様々な思い出のつまった
私の中学生時代も終わりに近づきます。

たくさんのお友達との
楽しい交換日記

仲間と共に汗を流して
走り回ったバスケット

恐怖から始まった、でも楽しかった
学習塾での新たな発見の日々


私の中学時代は、
たくさんの仲間と
たくさんの出来事に恵まれた、
輝いた3年間だったと


今振り返っても
気持ちがあたたかくなるような
そんな毎日でした。

そして、
仲間のみならず、
先生にも恵まれた3年間だった事もまた、
私の中学時代を支えてくれていた
宝物のひとつですおねがい

時に厳しく、時に友達のように
私たちの目線で
いつも一緒に走り続けてくれた恩師は
担任でありバスケ部の顧問でもありました。

そして、その後、卒業してからずっと、
毎年お正月になると、
私たちは欠かすことなく
先生の家に集まるようになります

そんな関係を作り上げられるような環境の中で、
自由にのびのびと過ごす事ができた私は
なんて恵まれていたのだろうと


今でも、あの頃のすべてに感謝です


そんな楽しかった中学時代も、
あっという間に卒業の時を迎えます。

高校進学…


恐怖で始まったスパルタ塾のお陰で、
(ブログ:「学習塾での指導方針」より)
私の成績もそれなりに安定していて、

そしてもちろん、この頃には
「みんなが行くから私も行きたい♫」
なんていう考えはなくなり(笑)爆笑

最初の希望校は、
このエリアでは一二を争う
進学校のA高校でした。

父の母校であり、
進学に向けた教育スタイルは
他の高校より秀でた高校でもあり、
昔から漠然と、
行きたいなぁと思っていた学校です。

バスで20分という近距離というのも
魅力の一つでもありました。

入試直前までA高校一本に
焦点を絞っていた私でしたが…

進路の最終確定をする直前になって、
商業科のあるB高校への進学に惹かれます。

惹かれた理由のひとつ、

本当に単純な理由だったのですが
『珠算の授業がある』
そう聞いたことからでした。


小学生時代の私の歴史、
書道のことにばかり触れていましたが、


同じ頃に珠算の塾にも通っていたんです。
小2~小6までの5年間です。
パチパチ弾く音と共に
数字を計算していく
その速さや桁数が上がれば上がるほど
どんどん楽しくなった事を
思い出しますおねがい

珠算検定の級があがって、
今は亡き祖父が
ご褒美に買ってくれた
ピカピカのそろばんは、
何十年経った今でも
私の机の引き出しに、
大切にしまってあります


ネットやパソコンが主流になった現代、
こんな事を言ったら
笑われてしまいそうですが

当時は
「読み・書き・そろばん」
これが出来れば
社会に出て困ることはない、と、
両親に言われて育った私、

『読む事』も
『書く事』も
そして、
『そろばん』も

しっかりと幼少時代に
叩き込まれていたのです

中学生になってからは
部活と学習塾と書道の両立で
珠算までは難しくなり
辞めることになったのですが、

「珠算ができる高校がある」
って聞いたら、

なんだか、
子供のころのワクワクが蘇って
…行きたくなってしまったんです爆笑


最終決定の日。

私は、商業科のあるB高校への願書を
提出したのでした。

そして、このB高校での3年間が
私にとって、
またまた、思いもよらない
たくさんの出来事を
運んできてくれる事になるんです


そして、
その高校での3年間もまた、
「書く事」の人生に、
たくさんのエッセンスをくれる
経験をする事になります。


そんな
新しく始まる私の高校生活の歴史、

続きはまたウインク