以下の文章は、2013年の夏にスコットランドで書かれたものです。当時鬱病のどん底で、治療を始めたばかりの私が気晴らしのために書いたものを、加筆修正しました。2020年現在の私は、完治はしていないものの、細々と仕事や家事が出来るまでに回復しました。
このシリーズ「一鬱病患者の日乗」では、当時の闘病生活の1日を、時系列で無計画に書き連ねたものです。タイトルと執筆スタイルは、西村賢太氏の「一私小説書きの日乗」(日乗=「記録」の意味)へのオマージュです。
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9月20日
前日、友人と2時間ランチしただけなのに、翌日なぜこんなに体の芯が疲れ切っているのだろう?
気力のみならず体力も衰える。これが鬱病である。
ランチで疲れた翌日の朝。複雑で、楽しいのか苦しいのか微妙な夢を見続け、午前7時に目が覚める。待ち合わせに遅刻しそうになり、数十メートル走っただけなのに、昨日情けなくも筋肉痛を起こした太ももは、幸い治癒している。しかし、なんともいえない体の中心部のだるさと痛み。トイレに行き、水を飲み、また横になる。
昨日の事を思い出す。楽しかったなあ・・・。友人のご夫妻のご招待で、感じのよいフレンチレストランでランチを楽しんだ。一人では行けない雰囲気のお店だけに、有難い限り。何か手土産を、と唐突に花屋でブーケを作ってくれるよう頼み、朱色のバラを基調とした花束を持参。甘く煮込んだイチジクとチーズと野菜のサラダ、ポークベリー、三種類のアイスクリーム盛り合わせ、あとは白ワインを「控えめに」頂く。人前では品よく飲める私・・・。
度々お世話になっているご夫妻。大好きな人たちなのだが、私の近況をどこまで話していいのやら?下手に深刻なことを言うと心配をかけてしまう。だからといって、「順風満帆、元気です!」とは言えない。余りに嘘過ぎるからだ。尋ねられたら何をどこまで話すべきか?数日前から考えても決められないまま、当日を迎えた次第。
自身の欝病について、「誰に」「どの程度詳しく」知らせるべきかは難しい。最近では世間の理解も深まり、「欝病は心の風邪」などと言われている。だが、軽々に「私、欝病になったの!」と友人らに言えるものではない。言われた相手は自分に気を遣うだろう。そしてその相手が腫れものを触るように自分に気を遣う様を見て、患者本人も申し訳ない、いたたまれない気分になるのだ。
私の場合も慎重に伝えるべき人を選んだ。まず大学院の指導教官、次に両親、精神科医、カウンセラー、二人の親友、以上だ。他の知り合いや友人には、「体調不良」としか言わなかった。2020年現在、当時を振り返り、私はなぜこのような判断をしたのだろうかと考える。やはり、第一に自身が「心の病」に罹っていることへの「恥ずかしさ」(恥ずべきことではないと分りつつも)。更に、その告白によって周りが必要以上に騒ぐようなことになれば、甚だ鬱陶しいと思ったからである。特定の信頼できる人には分って欲しい半面、その他大勢には「放っておいて欲しい」、という思い。何ともワガママだが、それが私の当時の素直な心境であった。
さて、フレンチレストランでの食事中、会話の殆どがご夫妻のパリ滞在の話、親戚や兄弟の近況であった。パリの話は興味深いが、誰それの妹がどうした的な話はどうでもよい。ニコニコと聞き流す。そのうちに、ご夫妻は私がこの夏どう過ごしたかについて尋ねてきた。以下奥さんがA、旦那さんがB。
A:「この夏はどうしてたの?どこか旅行へ行った?日本へは帰った?」
私:「いえ、あの・・・自宅にずっと居て、のんびりしていました。」
A:「え、この夏ずっと!?家に居たの?」
私:「えーと、まあ、実を言うとですね、ちょっと体調が悪くて、自宅療養していました。幸い、指導教官が非常に理解のある人で、良いGPを紹介してくれ、そのGPが良い専門医を紹介してくれました。」
B:「それで、君は回復してるのかね?大丈夫なのかね?」
私:「はい、だからこそ今日ここへ来れてる訳ですし。」
B:「何か助けが必要だったらメールくれよ。力になるし。」
私:「ありがとうございます。」
やはり「欝病です」とは言えない。ここは「体調不良」でごまかすのがちょうど良いかなあ、と思った時に奥さんが一言。
A:「病院にかかってると言ってたけど、どの病院なの?」
私:「C病院です。」
私は何気なく病院名を答えた。すると、奥さんの次の質問。
A:「・・・それで、最近はよく眠れているの?」
この一言に、私はドキーっ!とした。彼女は病院名を聞いて、私が精神系の疾患を抱えていると感づいたのだろう。長年どこかの町に定住していたら、どの病院がどういう病気専門なのかの知識があるものだ。あらら、バレちゃったな、でも仕方ないか・・・。
しかし有難いことに、それ以上ご夫妻は詮索はしてこなかった。彼らは決して、「あなた精神が辛いの?大丈夫?」などと直接的なことは聞いて来なかった。ただ、別れ際に、「何かあったらメールして。また近々食事に行こうね。」と。お二人の懐の広い大人の対応に救われた思いであった。
身内より他人の方が、冷静に一歩引いて私を受け入れてくれる。大学院の指導教官、カウンセラー、精神科医、友人たち。これらの良い出会いに感謝したい。かといって両親がダメだとは思わない。ただ、今までの私と両親との関わりを考えると、両親とは付かず離れず適度な距離を保つのが、今の私の回復に良いように思える。