ひじきの五目煮(つゆだく)に
卵を落として巣ごもり風。
これが家族みんなで好き。

しかしこれは、
味噌汁にごはんを投入する、
ねこまんま的な
《迂闊に他者には言ってはいけない》
家庭内料理かもしれぬ。



わたしの母は、
8人兄弟の下から
2番目だったから

嵩増し的な料理が
自分にはしみついている、
と言っていた。


なんにでも油揚げとか
蒟蒻を入れたりとか、
なんでも卵で綴じちゃうとか、
なんでも丼風にしちゃうとか。


娘のわたしはそれを
なんとなく受け継いでいて、
母が亡くなった今も同じようにしている。


思えば、わたしの父も母も
貧しい子供時代で

おとなになっても
親に頼ることは
できない

そんなひとたちだった。



わたし自身も

ほんとうに質の良いもの
ほんとうの美食
ほんとうの休暇や
旅行

などは

とんと知らない。
 






パートのお昼休みに
読んでいる本。

二日目。

庭の章までがきのう。
きょうはモネと家族のところ。
《桃色の家》




モネは、

40歳頃までは
絵描きとしての
生活が安定せず

時に苦しい状況の中
家族を養っていかなくては
ならなかった。


たび重なる生活苦から
自殺を考えることもあった。


モネ、庭とレシピ
林綾乃 著より引用


50歳の頃のモネ。
今のわたしと同じくらい。







貧しさを知るひとの
絵や文学が好きだ。

歌うひとも
奏でるひとも。




雨に濡れ
走る
男たちを

鮮やかに書いたのは
須賀敦子だった。






以下、須賀敦子
トリエステの坂道
《雨のなかを走る男たち》
より抜粋引用


顔をちょっとうつむけて、
首をすくめ、まず背広のえりを立ててから
両手で上下の前をきっちりと合わせて、
走り出す。
それを見た瞬間、
私は、ああ、
あの走り方は知ってる、と思った。



ああいう格好をして走るのは、
やはり職人とか工員とか、
そういう階級の人だけではないか。
そういえば、
イタリアで暮らすようになって
ひとつ、びっくりしたことがあった。
学生をふくめて
生活がぎりぎりという階級の男たちが
傘を持っていないのだ」


彼らは
傘をささず
濡れる男たちだった。


須賀敦子の夫
ペッピーノも。





月曜日

日暮れに雷が鳴り
雨が降った。


パートの帰り
わたしは
傘をさして

靴を濡らして歩いた。












夜は酒を飲んだ。





藤圭子嬢を聴いた。




カスバの女を聴いた。




自民党は
総裁を

党員投票無く
決める、と言う。


そう決めた面々は

傘をささない男たち


つまり
雨のなかを走る男たち

では、
決して、無い。





さあ、水曜日。

みなさま、良いいちにちを。





しお