23才のころ
ふとしたことから
マクロビオティック
つまり
玄米菜食をbassにした
食養健康法の
道場をひらいている
先生、と呼ばれる50代半ばの
男性と知り合った。
わたしの顔を見るなり
『ああ、卵を食べ過ぎてるな。
甘ったれが顔に出ている』
といい、
名刺を渡された。
桜沢如一氏や
その奥さんのリマさん
久司道夫さんの本
遡れば
石塚左玄などの本
なども
どさり、と貸してくださり
道場の朝食会にも
来るように、言われた。
行くと、果たして
とてもオシャレなマンションの一室で
ひとの良さそうな老若男女が
グルテンミートを使った
ミートソーススパゲティや
むろん、国産小麦100パーセント
根菜のスープなどを
にこにこと食べていた。
先生は、
いろいろ
教えてくれた。
本や先生のハナシから
初めて知る、陰陽の考え方や
食養を軸としてみる
世界の在り方など
おもしろく咀嚼し
食養ひとつで
アトピーも癌も
精神疾患も治るのか
すごいなあー
と思いつつ
しかし
若かったこともあり
また、ストイックに生きられない
オノレの不甲斐なさを
その時点で悟っていたので
ふむふむ
そーゆー考え方も
あらーな
と、実践なぞは思いもよらず
へらへらしていた。
それも、ひとつの生き方だと
先生は強要しなかった。
先生の道場には
弟子の若い男性もいて
かしづくように
従順に働いていた。
いま、思い出すと
石原良純とショーケンの若い頃を
足して、三で割ったような
ハンサムだったが
いかんせん
玄米菜食を徹底しているせいか
油気が抜けた感じの
痩せ方をしていて
残念なことに
セクシーではなかった。
ある日、先生から
焼肉にいこう、と誘われ
肉は食べないのでは?
と聞くと
陰陽の法則で
時に、おもいきり
陽に傾くことも
必要なのだ、というので
ふむ、そーゆーもんか
と思い
ご馳走になった。
先生は、ロースを
二、三枚食べると
これで
十分ととのった、と言い
後はわたしに
食べさせた。
先生に会うのは
月に一度くらいのもの、であった。
道場の朝食会には
いつでも来て良いと
言われたが
ちっとも行かなかった。
朝寝坊なわたしは
食べる、より
寝る、が、トーゼンの選択であった。
さて、焼肉を食べたあと
先生はおもしろいひとを
きみに紹介しよう
と
新宿へつれていった。
わたしは夕刻から
池袋でバイトがあるので
それまでなら、と
先生の案内で
昼間の、混沌とした
新宿の飲屋街を歩いた。
場所については
あまり覚えていない。
焼肉屋での昼ビールが効いたのか
梅雨が明けた七月の暑さが脳に来たのか
よくわからないが
何度も
路地を細かく曲がり
建物と建物のわずか50センチくらいの
隙間も抜け
ひょいと
『ここだよ』と
上がるように言われた階段は
ふるいふるい
倒れそうなビルの
裏口から続いていた。
あまりに急な階段で
腰を曲げて、先生についていくと
はたして、
ちいさな四畳半くらいの
本でぎっしりの和室に
白髪をこざっぱりと散髪した
おじいさんがいて
窓に向かって置かれた
文机から、振り返り
『おやおや珍しいひとを
連れて来たね』と
人懐こく、笑った。
暑い部屋で
扇風機が回っていた。
畳に、正座すると
膝が痛かった。
その部屋にいたのは
ものの20分くらいだった、と思う。
暑いですね
ほんとうに
なんて会話のあと、
先生がおじいさんのことを
この方は、世界の謎を
すべて、知っているんだ。
Zero、とわたしたちは
呼んでいる
と紹介したからだ。
やばっ、と思い
階段の方へ
後ずさりした。
健康法に、通じすぎたひとびとが
時に
ヨガや気功や
霊気や呼吸法を探求し、
ふと、
宇宙だとか、真理だとか
スピリチュアルな精神世界へ
つまり、宗教的な世界へ
シフトしていくことは
よく、ある、と
本を通じて
知っていたので
こりゃ、まるきりそうだ!
逃げた方が良い、と思ったのだ。
さて、Zero爺さんのハナシを
聞きながら
退室するタイミングをうかがっていると
ひょっこり、先生の弟子が
階段から顔を出した。
わたしを見て
息を呑んだので、
味方かも、と思い
わたしが
やばいね、ここ!という顔をしたら
わかってる、という顔をして
『先生、〇〇さんが
いらっしゃいました』と
あらたまった感じで言った。
今だ!と、立ち上がり
『ありゃ、こんな時間。
あたしゃ、バイトに行かなくては』
などと、大げさに言い
『残念だねえ、
また、いらっしゃい』という
zero爺さんと握手して
脱兎のごとく
階段を駆け下りた。
先生とは、それから
ふたりで会うことはなかった。
一度、バイト先に
先生の弟子が来て
飲まない筈のビールを頼んだ。
店が忙しかったので
あまり、ハナシはできなかったが
先生の道場に熱心に通っていた
癌患者さんが亡くなった
と、教えてくれた。
なんだか、とっても
疲れてみえたので
健康って
むずかしいよね
と、言ってみた。
死ぬ、のって案外
健康の、極みかも。
どんなひとも例外なく
死ぬんだし
とも、言ってみた。
弟子は笑って
ビールを飲み干した。
その10年後
わたしに癌が見つかったとき
先生に教えてもらった
玄米菜食を
半年ほど
術後
ゆるやかながら
赤ん坊を育てるので
再発をしませんように、と
やった。
効いたのか
ただの偶然か、
わからないが
再発率70パーセントと言われた
わたしの癌は
息を吹き返すことはなかった。
●
今朝、
浮かんできた
むかしむかしの記憶の断片を
文字で紡いでみた。
しおさん
怪しいオトコについていって
危なかった、と、は
もはや
言わずにもらいたい。
いま、思えば
わたしもそう、思っているし、
反省☺️
でも、人生には
こーゆーことが
ふと
起こるもので
いま、zero爺さんのような
ひと、と
ひょん、と巡り合い
ようやく
真実を見つけた!と
蜜月しているひとも
きっと、いて
何十年か後に
ありゃ、なんじゃったんじゃー!
と、blogに
書いたりする、
のも
いがいに
オツな、もので。
●
木馬座暮らし2
ぼくとマミヤと薬草とシチューと
の表紙ができました。
うるまちゃんの滲み絵を
全面に。
帯も、作ってみて。
うん、だんだん
完成へ、すこしずつ。
●
さて、
きょうはお仕事の日。
張り切って
行ってきます。
みなさまも
良いいちにちを。
しお