さむいさむい、と
かぞくが家に帰ってくる。



さむかったでしょう?

と、

鍋に火をつけて
スープをあたためる。



それは、ただの豚汁だったり

野菜のきれはしや豆を

だいこん、にんじん、じゃがいも さん

チキンスープで煮たもの

だったりするのだけれど。



さむい、には
あたたかい、が、ご馳走。




湯気と一緒に、たっぷりと出す。



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《ちびふくろう
グラウコーピスくん
ふゆのおかいもの より》





たっぷりの水に戻すひじき。

牛蒡をささがきして
水へ落として、灰汁を取る

干し椎茸の水にほとびた姿。

切り干し大根の水を吸って
ふくらむ、あの、鄙びた匂い。



葉野菜が、うんとこ高い
この、冬は

こんな光景が、いつもに増して。



やりくりしつつ
まいにちの、ごはんを

ととのえ、ととのえ、


もう、25年ほどになる。


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書きまくった日の、肉じゃが。





のぶみさん、という男性の
絵本作家が、作詞した

《わたし、おかあさんだけど》
ダイスケお兄さん歌唱
わたしは歌詞しか知らない。

歌の、内容が


話題になっているらしく


わたしのツイッターの
タイムラインでも

フォローしている
作家の方などが
リツイートしたのが
上がってきて


わたしも
興味を持った。





歌詞は調べていただければ
全文がすぐ出てくるのだが

かいつまむと
わたし流にまとめると


タイトルになっている

【わたし、おかあさんだから】

ということばの、
リフレインのあとに


おかあさんであるが故に


爪を切り、ネイルをやめ
眠いけれど、朝5時に起きて
服も動きやすいものを着て
苦手な料理をがんばって。

と、歌われ、


あたし、
おかあさんになるまえは、と


一人暮らしして
ヒールはいて、ネイルして
りっぱに働けると強がっていて

好きなことをして、
好きなものを買って
考えるのは自分のことばかりで
おまけに痩せていた。


と、過去が回想され、



しかし、

あたしおかあさんだから
いいおかあさんでいようと
がんばるの


と、なり


でも、

おかあさんになる前に
戻れたら、


夜中に遊んで
ライブに行って
自分のために服を買う


と、過去のわたしへの
恋慕が挿入され



しかし、こんなこと
ぜんぶより

なによりも


おかあさんになれてよかった
あなたにあえたから!


と、締めくくられる。







おかあさん以前
おかあさん以後

に分かれた、【あたし】


あたし、らしくいた
おかあさん以前

の、真反対のベクトルに

おかあさん以後の

あたし



あたし(生む前)と
おかあさん(生んだ後)は


きっぱりと
分かれる。






この歌は
子育てをしている
おかあさんへの応援歌だと
のぶみ氏は書いていらっしゃる。


現に、元気づけられる方も
いらっしゃると、聞く。




が、わたしは
涙がこぼれる。




おとこのひとたちが
つくる、社会よ、

おねがい、
わたしたちを
分断しないで。




おんな、の、ひとという

たまたま、

出産が可能な性に
生まれ落ちた

わたしたち、を


たまたま
生んだら

おんな(痩せていて、ヒールはいて
爪を塗って、夜遊びしていた、あたし)

と、

ははおや(太って、動きやすい服を着て
爪を切って、こどもといる、あたし)


に、分断しないで。




わたしたちは
ひとりの、にんげん。

ひとつの生命。


人生の
そのとき、そのときで


会社員、
主婦、
おかあさん、
地域の女手


と、さまざまに
外側から呼ばれつつ


役割を希求されつつ


それを
自身にとりこみつつ


しなやかに
平らかに



あたし、として

生きている。





わたしが
子育てをしていたころ
もし、
応援してくださるなら



子育てをしているきみは
なんて、セクシーなんだろう。 

いつも懸命で、悩みながらも
本気で、怒りながらも 

失敗してるかも、
ほんとうにわたしで良いのかな?
と、怯えながら

でも、まいにちを 
きみとして生きて

結局は笑顔になって
我が子を抱きしめ、守っている。


いままで会った、どんなきみより
いまのきみが、いちばんセクシーだ。

そして、この時間が
きみをもっと、うつくしくする、

だから、ぼくたちは
きみを、愛さずにいられない。

いまも、これからも。



みたいなまなざしが
よかった。


高橋一生さんとか
長谷川博己さんや
福山雅治さんが

歌ってくれたらなあ!



こどもと向き合っている
おんなのひとを
セクシーだと感じる社会は

たぶん

介護を担っている
おんなのひとも

視野に入れてくれるだろう。


彼女たちの
うつくしい人生を
見つめてくれるだろう

今みたいに

無い、もの

みたいなことにせずに。










それから
蛇足だが

わたしは
子育て中

おしゃれや
夜遊びより 


本をヒトリになって
読みふけりたい

本屋さんで
一時間ヒトリに
なりたいな

 という

満ち足りた
ひとりぼっち

への欲求の方が
強かった。



 ○


 ○
   ○


blogを長く書いていると  


それは違うんじゃないか?

そうは言っても
こういうひともいるんですよ

あなたの貧しい
世界観で
これを語られては
困ります

もし万が一でも

言われたら怖いなあ


議論も面倒くさいし


思って


だんだん


ジブンの周りと
活動内容

だけを

書いてしまうように
なって


なにか
半分しか
まなざしが無いようで


不安になることもある。




それだけ
だと



赤ちゃんやお兄ちゃんの
鼻水と泣きごえと
大量の洗いものと

パートから帰ってきて
すぐに家事をやって

まいにちのやりくりに
頭を悩ませつつ
来月、車検があるだけで
ため息が出る

ヒトリで
本屋さんにも行けない

わたしの
慕わしい
妹たち

かつてのわたし



届かないものが
あるかもしれない。




わたしは
なんのために

書きたいのか。



わたしは

痛みや
寂しさ
 
貧しさ

生まれ落ちた
悲しみ

選べなかった
苦しみ


そばに。
  





ここまで
書いても

なお

記事をアップするのを
やっぱり
躊躇する。



熱いひとは
イタイ

よーな気がする。



ネットで
話題になっていることは

スルーして


さいきんの
わたしのたのしみ

夕焼けや
朝日を眺めることを

書いたら
よかったかな、

とも思う。




いやいや

わたしが
わたしを

分断

して
どーする。



どちらも

わたし

なのだ。



畏れずに。






可愛かったよ、の日。


あのときのきみは

とても
可愛かったよ。


ぼくはいまでも
覚えているんだ。



{149385FE-2597-4A12-976F-29F777E0B7D2}

つくっている
《わたしのとっておき
はちゃめちゃのきょう❷》

より。





みなさま
良い


きんようびを。




しお