きのう、
違う時空で
チョコレートケーキをたべた。
白い手が
白いお皿の上にのった
濃厚、とまではいかない
でも、ぱさり、ともしていない
フォークを入れると
皿の白に、かけらが
すこし、こぼれるような
その、一切れを
わたしの口に
ゆっくり、と、運んで
わたしは口を開けて
それを、食べた。
実際に口が開いて、閉じたので
はっ、と醒めて
ああ、いまは
sunさんのビーイングタッチの
最中だった
と、また、こちら側に
戻ってきた。
夢、なんだけど
夢、じゃないような。
あちら側では、
本当に食べた。
わたしは、
さいきん、ジブンでは
とても頑張っていたので
誰かが、
ごほうびをくれた
と、解釈した。
とりあえず
ひと息つきなさい、と
頭を撫でてもらったような
気がした。
で、また、深い
眠りの幕の向こうへ
つるん、と
葡萄の実のように
落ちた。
ケーキの夢を見た、
ちょうど
そのころ
ゆりさんは
録画していた
ガトーショコラを作る
レシピの、番組を
ふと、思いついて
観ていた、と、いう。
『わたし、ビーイングタッチのとき
チョコレートケーキを食べた』
『わたし、ガトーショコラを
(手順など観ることで)作っていた』
それは、あちら側で
起こったこと。
こちら側では、実際に
食べてもないし
作ってもいない、けれど
でも、
わたしは、確かに食べた。
夢、というのは
いったい、なんだろう。
ビーイングタッチや
気功を受けるとき
覚めているのに
眠っている
と、いう、中間のところへ、行く。
その、感覚は
わたしが、
オハナシを書いているとき
ああ、深く潜っている
と、感じて、自然に
ストーリーが、滑っていく
それを、ただただ、文字で追う
ときの、理想的な
脳の状態に、似て、いる。
空想、と
わたしが呼ぶもの。
それは、あちら側では
本当に、起こっていること。
(そう言うと、ヒトは
笑うかも、しれない)
きのう、sunさんのお手当のなかで
期せずして、わたしは、
ゆりさんのガトーショコラを食べて
あまやかな気持ちになり
深く、休息した。
それは、感想とか
比喩ではなく
わたしには、体験だった。
(すこし、驚いている)
立川アナログ舎で。
右手前が、ゆりさん
ゆりさんのBlog
そこから、りえさん
パトアシュようこさん
ようこさんBlog
sunさん
sunさんBlog
きょうは
ひたすらに
懸案の長編小説へと潜った。
夜も、もぐりたい。
図書館の小さな庭の
ブルーセージが
咲いていた。
これから夜ごはん、作る。
豚のしょうが焼き
春雨、きゅうり、卵の春雨サラダ
茹でそらまめ
炊き立てごはん
長女が、喉を腫らしているので
無農薬レモンを蜂蜜で漬けても、みる。
わたしはまだ、全開して
全力でやる、ことを
リターン(評価)が無かったら
どうしよう、と
思っていた、かも、しれない。
もはや、なんにもいらないから
と、いまは、感じている。
なんにもない
と、いうところまで
出し切って
それで、ほんとうに
なんにもなくても
わたしは、死なない、と
震えながら思い始めた、今日。
それが、きのうの、きょう、です。
空想家sio