おはようさぎ!
さてさて、いよいよ
年の瀬だ。
といいつつ、
緊張感はゼロ。
お掃除感も、ゼロ。
にゃー、と猫のように伸びて
読書と漫画読みが、余暇。
明日から実家に行くので
ここでは
やはり、どっか
長女な女手
として、
買い物したり
おせち整えたり
餅焼いたり
酒の燗をしたり
皿を真夜中に洗い
朝、雑煮の出汁を取りつつ
なんとなく正月らしい食卓を
都度、つど。
わたしの
記憶のなかの正月は
ひたすらに
一家団欒のコーフク感を
トレースする
芝居のようだ。
大学生のころ
母が正月に
風邪で寝込んだとき
父は怒りに、むう、とし
母も、必死で起きてきては
おせちの他に
フライなど食事を作ったが
それ以外は起きていられず
ベッドで寝ていた。
父は思い描く正月が
過ごせないことに
苛立ち
わたしもことさら
母のかわりをする気は
さらさら、なく
父の鈍く重い怒りのなかで
わたしはただ
巨大な砂時計を
こころに置き
正月が終わるのを待っていた。
家族 という形態を
監禁 で、ある
と、わたしが
歪んで
捕らえ始めたのは
いつからだろう。
いまも、父は
酔うと
母の癌が
もうすこし早く見つかっていたら
いまも生きていた
から、始まり
仮定を巧妙に使い
わたしが夫と結婚しなかったら
と、時間をさかのぼり
『いまのあなたは
父親より、稼げない夫といて
実は、不幸なんだよ』
『父親の言うことを
聞かなかったから
この人生なんだよ』
と、手くだを100もそろえ
(ジブンでも無意識に)
伝えてくる。
それは、
父の
誰からも
誰よりも
愛されたい
認められたい
という
こころの癖 から出ていると
もう、知ってから
だいぶん、経っている。
だから、
受け取らないようにしている。
しかし、
わたしは劣っている
だから、従うしかない。
という声を
わたしはいまも、
ふとした時に
ときどき、聞く。
諦念の、声。
(父といると、
automaticに再生される)
絶対者を装おった、
オトコの、声。
わたしのなかのオンナに
無力さを投じてくる、
それを隠した、優しげな声。
いや、あんたこそが
と、わたしは
ジブンのなかの少年と手をつなぎ
その声を、斬るべく
ココロ迷宮を、疾走って
はしって、ハシッテ。
(靴下を履くようになってから
それができるようになった。
ひとつのきっかけであったように思う)
なにか
スピリチュアルな施術や
心理的カウンセリングで
あるいは、もっと
宗教的なアプローチで
【声】をとことん
クリアーにする
と、いうことを
試みる手もあるが
声を再生する
ココロ窟
つまり
オブセッションこそ
内なる暗闇
ジブンの財産
表現の泉
ジブンに
装着された
天からのツール
と、思いいたってから
もはや、これも
わたしが選んだんじゃないか
前世的な意味で
と、あっけらかんと
かんからかん、と。
ああ、なにを
めでたい正月を前にして
書いているのか。
ま、ま、ま
来年は
ワガハイはもっと
自身のオブセッションに
明るくコミットして
内なる暗闇を
楽屋にして
ジブン座のshowを
開くんだ!
てな、抱負に変えて
この、文章を
ま、そーゆーこと で。
はちゃめちゃのきょう
胸の湖(オモテ)近くの
抽斗通り商店街では
福引きと餅付きが
正午過ぎから、あります。
午後4時からは
ひましアブラ店主
モリカゲアキラ と
理容店【barber五郎】
トグチゴローで結成された
フォークデュオ
ひきだしーズ の演奏もあります。
アップルサイダーズのムツが
参加する、という情報有り)
ぜひ、おいでください。
はちゃめちゃ蚤の市の冊子
【抽斗通りへようこそ】の
表紙が、出来上がりました。
お待たせしていますので
年内に、これだけでもご紹介できて
よかったなあ❤︎
右手首のギブスが取れた次女kちゃんがiPhoneで、着色。
さてさて、
みなさま、良き正月を
お迎えくださいませ!
空想家sio