昨日は、青山ブックセンターのスクール
【服部みれいの編集ゼミ】に夕方6時から参加した。
すごくすごく、刺激を受けた。
集まってきたヒトみんな、素敵に思えた。
なんだか、パワーみたいなものを
皆、外側に発信しているように思えた。
(みれいさんはもちろん)
そんなパワー溢れた良い空気を感じたら、
なんだか、ジブンのなかの使っていなかった細胞が
ぴっと目覚めて、「起きろ起きろ」とわたしを
揺り動かして、生まれて初めて
本当に「起きた」気がした。
◆
みれいさんは、ジブンのメディアを持つことの
素晴らしさのことをおっしゃった。
(ジンというメディア、ブログというメディア)
そして、それを作るには
情熱、良い企画、
それを読んだヒトがどうなってほしいか
(例元気になる、ほっとする など)
といったものへの強い意識が必要だ、とおっしゃった。
それを聞きながら、わたしは
「今までわたしが書いてきたブログはどうだろう」と考えた。
思いの【垂れ流し】じゃなかったかしら、と胸が痛くなった。
◆
みれいさんのオハナシを聞いた後で
こんな絵のようなメモを書いた。
玉葱の皮をかぶったような【ワタシ】の絵。
一番上は、おばさん、分別、現状維持と書いてあります。
真ん中が、お母さん、妻、嫁と書いてあります。
芯の部分が、あたらしくてなつかしい本当の自分と書いてあります。
ここ数年、わたしは結婚して20年の間に
【自分】を失くしてしまったような気がしていた。
20年前、わたしは結婚して、
妻となり、嫁となり、
こどもを産んで、母親になった。
それは、【新しいワタシ】だった。
わたしは懸命にそれになっていった。
それはある意味、幸福なメタモルフォーゼだった。
でも十数年が経ち、わたしはある時から
不安になった。
ナニカを外に向かって喋る時、
これは本当にわたしが喋っているのかしら?
これは本当にわたしが考えたことなのかしら?
と、ふと感じるようになった。
もしかして、わたし、
お母さんとして喋っているんじゃないかしら?
奥さんとして喋っているんじゃないかしら?
良きお母さんというイメージで
良きおばさんというイメージで
それに従って、オートマチックに
生きているんじゃないかしら?
そう思うようになった。
そのイメージとは、
この年齢のオンナはこうあるべきと
わたしが勝手に自分に押しつけたイメージだった。
イメージは強大で、怖ろしく頑強な盾で、
しかし、その一方で、その後ろにいると
妙な安心感があった。
その安心感に半分もたれながら
わたしはだんだんと、
自分の作ったイメージに
自分が浸食されてしまったように感じ、
元気がなくなった。
(洋服を選ぶ時もイメージが邪魔をした。
何を着ていいのか、わからなくなった。
髪型も、お化粧の仕方も、わからなくなった)
そして、この春、(元気になりたい】と唐突に思い、
冷え取りを始め、アファメーションするようになった。
最大のアファメーション。
子育てもほぼ終わった今、
わたしが取り戻したかったのは、
【懐かしくて、新しい、自分】だった。
◆
わたしがブログというこの小さなメディアで
発信したいこと、
読んでくださる方と共有したいことは、
自分を取り戻していくその過程だ。
同年代の方と、(そうでない方も大歓迎!)
生き生きとたおやかに、元気に
老いていく実験を一緒にしたいのだ。
若かった自分と今の自分が地続きであり、
そして、日々新しくなっていけるのだ、ということを
一緒に証明したいのだ。
大げさにいえば、一緒に冒険したいのだ。
◆
もう一枚、絵のようなメモを書いた。
頭 熱を放って、ストレス知らずです。
目 色々なものを見てきました。これからも見ます。
耳 よく響く、通る声を聞きます。
ハート たくさんの幸福と悲しみを知っています。
手 よく働いてきました、これからも働きます
お腹 いざという時は男前な覚悟でどこにでも飛び込めます
足 靴下を何枚も重ねて、どこへでも行ける足です
◆
そして、最後にもうひとつアファメーション。
読んで頂いたとき、
楽しくて、元気がでて
今の自分でしゃべり出せるような
色々考えたくなるような
【普通とは偉大なり日記】を
書いていきます。
皆さま、どうぞよろしく。
追伸、いろいろなことを教えてください。
いろいろなハナシを聞かせてください。
時には会いにいかせてください!!
ひとりでは冒険できませんもの!