今日は改めて、
わたしの自己紹介をさせてください♡
 
 
 
 
 
 
ご訪問ありがとうございます。
 
『書く』で“なりたいわたし”の頂点へ。
Writing life stylist  松本真季です。
 
 
 
 
以前にも
アップしたことのある
 
【日記とわたし】
 
という
自己紹介なのですが、
かなり加筆しております。
 
ぜひ、2回目の方も
読んでくださると嬉しいです♡
 
 
 
 
 
 
 

私の現在

 
わたしは現在、広島にて
 
手帳のコンサルティング、
方眼ノートトレーナー、
企業日報コンサルタント
 
など、
 
『書くこと』で目標を叶えていく
お手伝いを行っております。
 
そして、
そのお仕事を通して
 
 
【女性が年齢を重ねるたびに
 輝けるよう、応援したい!】
 
と、常々思って日々活動しています。
 
 
 
 
というのもわたし自身
 
40歳になった時、わたし史上最高に綺麗で
 輝いていたい!
 
というのが目標なのです♡
 
 
 
そんなわたしなのですが、
 
『書く』ことになぜ、
ここまでこだわって生きているのか?
 
 
それは、
わたしの過去に深く関係がありますので、
今日はその辺のお話を交えつつ自己紹介を……♡
 
 
 
 
 

日記を始めたのは?

 
 
わたしが『日記を書く』ではなく
『日々を記録』をし始めたのは小学生のころ。
 
 
それは父の体の異変からでした。
 
わたしの父は、
脊髄小脳変性症という難病で、
残念ながら10年前に他界しています。
 
 
 
この病名、
今だからこそ分かっているのですが、
 
わたしが小学生の頃は、
まだ詳しく解明されておらず、
 
父がこの病気だというのも
発症して数年経ち、
調べに調べてわかったものです。
 
なので、
小学生の頃の私はおろか、
家族全員が
どんどん体調が悪くなり弱っていく父親を、
見守るしかなかったのです。
 
 
そんな状況だったので
小学生のわたしはいつも
 
『明日、お父さんは死ぬかもしれない…。』
 
そんな風に思い、
不安抱えながらも、
でも両親にそれを悟られまいと
日々生活していました。
 
 
 
 
そんな父の最初の異変は、
ご飯を食べている時、
父がお箸をよく落とすことだったと記憶しています。
 
 
 
そこから、
歩いている時にフラつく、よろける、
立とうとして尻餅をつく。
 
滑舌も悪くなり、
当時はよく引きつけのようなものも
起こしていました。
 
 
 
そんな父の力になりたくて、
小学生ながらに
父の症状をノートに書いてました。
 
 
 
『もし、何か起こって
 病院に運ばれた時、病院の先生に聞かれたら
 このノートを見せればいいんだ!』
 
はい。小学生ながら、
ドラマの見過ぎです…笑
 
 
 
 
 
 
そんな小学生時代に書いていた記録。
私の日記の原点。
 
 
 
きっと
『書く』ことで
わたしは心を落ち着かせていてのだと、
今ならわかります。
 
あの時、何もできない小さな自分でも
何かやれることを見つけた結果だった…
そんな風に思います。
 
 
 
 
 
 

中学時代…初恋?!

 
 
そして、
中学生のになり
 
書くことが楽しいと
自覚してきた頃に
大好きな人ができました。
 
クラスでも部活でも常に優等生のY君。
 
 
中学生時代の日記は、
そんな大好きYくんのことが中心でした。
 
(おーい、お父さんはどこいったー?笑
 
 
でもこの時、
初めての恋をするという
嬉しくも切なく、
なんとも言えない苦しい気持ちを言葉にして
書き表して残すことがとても大切だと知りました。
 
 
 
この時の日記こそ、
わたしがいつも
オンサロメンバーさんに伝えている
 
『出来事ではなく、気持ちを書く』
 
という
根っこを作ったと思っています。
 
 
 
また、交換日記も
いろんなお友達と
4.5冊は常に回していたと思います。
これこそが、
わたしのストレス発散だった気がします。
 
この頃、
母も癌になるという最悪な時期でした。
『私の結婚式には両親2人共
 この世にいないのではないか?』
そんな不安がいつも頭によぎってました。
 
 
 
 
 
 
 

高校時代は…

 
 
 
そして、高校生になり
忙しくなってしまった(勉強以外でウインク
わたしは、
気が向いたときしか
日記を書かなくなりました。
 
 
 
でも、大事な出来事があったときや、
気持ちに大きな変化があったときには、
必ず日記帳へ
自分の言葉で書き残していました。
 
この経験が、日記は毎日書かなくても良い。
大切な時だけ書いただけでも、
後から振り返ることができる。
 
という、今の信念に繋がっていると思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

そして、夢を叶えるために

 
 
 
高校卒業後は、夢を叶えるために
憧れていた東京へ。
 
当時は珍しかったモデルの専門学校へ進みました。
 
 
この時期は、
本当に沢山の日記を書きました。
 
田舎育ちのわたしは、
都会の人も街も生活も、刺激だらけ。
 
毎日毎日、
書き溜めたいことばっかりでした。
(ただ…この時の日記を
 引越しの時に無くした…一生の後悔です。)
 
 
 
そして、
モデルとして活動する中でも、
日記はわたしにとって
慰めてくれる友達のようであり、
甘えられる彼氏のような存在だったので、
色々書き留めていました。
 
 
 
 
この頃日記は、
手帳に書くことがほとんどでしたが、
 
『オーディションに落ちた…なんでかな?』
 
と書きながら、その日の服やメイク、
質問されたことなども
日記とともに書き込んで、
次回の参考にしたりしていました。
 
 
 
某金融会社のCMのオーディションに
それまでの日記を見直して、
服やメイク、喋り方や質問の受け答えまで、
とにかく徹底的に気合を入れてのぞみました。
その結果、合格!!
 
約2年間、
シリーズ化され、ずっと出させて頂けて
わたしのモデルとしての最終目的だった
『企業のCMに出る』という夢は叶ったのでした♡
 
 
 
 
 
手帳講座でもよくお伝えするのですが、
日記も手帳も、
自分のデータを未来に残すことが
役割の一つだと思ったのはこの頃で、
 
手帳と日記を一緒にすることで、
正解がないモデルの世界だけど、
なんとか正解を見つけようと必死でした。
 
また、
《雑誌に出る》
《パンフレットに出る》
《テレビに出る》
《レギュラーをとる》
《CMに出る》と
どんどんと夢が叶っていく自分の気持ちも
丁寧に書いていました。
 
そうすることで、
『あぁ、わたしにもできた!』と
日々確認していくような作業となりました。
 
日記がなかったら、
もしかしたら、
ただの田舎者の夢で
終わっていたかもしれません(。-_-。)
 
 
 
 
 
 
そして、
23歳の時に今の旦那さんと出会い、
かなりのスピード婚をします。笑
(このお話しはまた機会があれば♡)
 
 
ここからは、
また別の記録が始まる生活となり、
そして、
妊婦日記→育児日記となっていきます。
 
 
 
 
 
ちょっと、長くなったので、
今日はこの辺で。。
また次回…と言いたいところですが…
もう飽きた??かなぁ?笑
 
 
とまぁ、
今まで読んでいただきました通り、
 
日記を書きながら、
 
その時代、時代で、
毎日書いたり、
毎日は書けなくなったり
書く場所が手帳になったり、
あれやこれやと変更に変更を重ねながら、
 
今に至ります。
 
 
 
だけど、
いつも日記を書いてやっていてのは、
《気持ちの整理》だったのだと
改めてここに綴りながらもそう感じます。
 
 
毎日お部屋を片付けたり、
お掃除したりするように、
日記はわたしの
気持ちの整理、お掃除のような行動。
 
 
 
あなたにとって
今、日記はどんなモノですか??
 
ここが決まると、
書いたり書かなかったりしながらも、
 
 
日記と一生のお友達になれると思います♡
 
 
もし
今は日記をかけていません。
でも、書きたいなぁーー!
 
とこのブログを読んで
思ってくださった方がいらっしゃいましたら、
 
ぜひ、わたしが現在リリースしている
 
 
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私の日記も毎日公開しています。
 
また、
土曜日の夜には
インスタライブも行いまして、
そのライブを見ながら?聞きながら?!
日記を書く時間にしてもらえたらと
思っております。
 
 
 
 
このオンラインサロンの中では、
ブログには書かないことも
多く発信していて、
 
また違った一面を見てもらえるかな?
 
 
日記を公開しているので、
取り繕うとかできない場所なのです笑
 
 
↓オンサロのInstagramはこんな感じ♡
 
 
 
 
 
 
 
 
40歳になった時、
 わたし史上最高に綺麗で
 輝いていたい!
 
これを叶えるために、
今日もまた
 
わたしの大切な日記帳へ
 
今日私が生きた証を残そうと思います。