最近観たドラマ「不適切にもほどがある!」は本当に面白いドラマだった。個人的に第4話「既読スルーしちゃダメですか」がとても気に入っています。1986年昭和に飛んだ令和の少年謎の転校生キヨシ(坂元愛登くん)と純子(河合優実ちゃん)の翔んだカップルな80年代スタイルの制服姿は毎回タイムマシーンで懐かしい世の中がまだ色々寛容で緩かった時代へのノスタルジーを感じると同時にケシカラン魔女のコンプライアンス呪文に縛られた令和テレビドラマ制作者方のテレビ黄金時代最終章だった時代への憧れのようなものも感じたりする作品でした。第4話「既読スルーしちゃダメですか」はSNSに振り回される世代には勉強になり刺さりもしました(笑)毎回入るミュージカルは、この回が1番聴いたかも知れません。


このドラマに関連していませんが少しそれますが、「SNSの場で勉強するなんて…」というような趣旨のレビューを読み首をひねったのもこのドラマでした。まあ、そのレビューは単に批判したいだけのものでしたが、きっと既読スルーも未読スルーもそんな罵詈雑言を無視し無駄な争いを避ける知恵なのかと思いました。暇な時に向う暇ばかりで向う者同士、SNSは自分の顔も相手の顔も分からない分独り善がりになりがちですから。SNS初心者が落とされやすい穴をとてもわかり易く描いていたなと思いましたし、とても勉強になりましたね。やっぱり日々勉強ですから、そうして小さいながらもSNSの常識も歴史もマナーもつくられて行くのかななんて思いました。自分の知識や理解は完璧だと思わないこは大事ととこのドラマは言ってなと思います成長という進歩を止めないために。


なんだっけな、昭和10年生まれの主人公は、「既読付いてるのに返信が無いっていうのは、俺に言わせりゃ飯食わせてやってるのに、ご馳走様がないようなものだ」って言ってましたが、そこまでではありませんが、既読スルーされるとすると何故だか気になる自分がいたりして(笑)また、始まったラインどちらで終えるのかっていうのにも気を使い、便利も気疲れするものだと思う。電話なら「それじゃあ、また」で受話器を置けば終わるし手紙なら「かしこ」で終る、SNSは距離が近いようで遠い分始めたら直ぐに応えてずっと応えてなきゃいけない感じはする(笑)


たから、SNSは本気で打ち込むものじゃない♪と歌ったミュージカルのあの歌詞には納得させられた。真面目に打ち込んでる奴なんかいないのか〜と(笑)既読はメッセージが相手が読んだくらいに思っておけと笑笑。けれど昭和10年生まれの主人公はそれなら既読なんて付けなきゃ良いと言い既読なんて付くから気になる返事が欲しくなると言うそれが人だよね、分かるはそれとなる(笑)そりゃあ、もう本気で打ち込む場所じゃないとなるよね。あのドラマは本当に面白く勉強になりましたが、この4話のミュージカル最後の〆SNSもスマホも携帯も無い時代からいきなりタイムスリップして来た昭和10年生まれがSNSの常識を教えられ「アイムソーソーリー」と謝罪しますがそんな知らない人に謝罪をさせるってどう?そこが令和らしさなのか?昭和ならばそこは「サンキューベリーマッチョ」だろと思った次第でありましたが、本当面白いドラマでした。




 


SNSは既読スルーor未読スルー

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する