いつかの季節

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ひさしぶりに聴いたAvril Lavigneのアルバムで
なまぬるい風がふいていたいつかの季節を思い出した。

実はこどもの頃から
耳を塞いだ状態で歩くのがとっても苦手だ。

さらにいうと
音楽を聴きながら勉強するとか本を読むとかもめっぽう苦手。

ぜんぜん集中できなくてあ〝ーーー!!!ってなっちゃう。

歩いてる時なんて
ただでさえ方向音痴なのにさらに方向音痴になっちゃって絶対に道に迷う。

そんな自他共にみとめるノーミュージックイエスライフなわたくしですが
かといって全く音楽聴かないわけじゃないのです。

なにかのきっかけでズコーンとひびいたアーティストさんやアルバムに出会うと、しばらくそればっかりどっぷり。

だいたいひとつの季節ぶんくらい。

だから
ひさしぶりに昔聴いていたアルバムをかけてみると
いつかのひとつの季節を思い出す。

そのときすきだったもの
そのときのにおい
その季節のあれこれを
それはそれは強烈に。
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ありがと

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悩みを話してくれて、
同じような状況だったときに私が参考になったことを伝えた子から
「克服できました!さきこさんのおかげです!」
という言葉をもらった。

あのね、ちがうよ。
それは私のおかげなんかじゃないよ。

克服できたのは
あながそれを実行したからだ。

あなたのちからなんだよ。

だからね
思いっっきり
誇っていいんだよ。

嬉しそうな彼女を見て
心からそうおもった。

同じようなクソ辛い時期を知っている。
同じようにクソもがいた時期がある。

だから、そこから這い上がるときにどれだけエネルギーが必要だったかすごくよくわかる。

他人が伝えられるのは方法のひとつにすぎなくて
変えられるのは本人でしかない。

それに求めたのはあなた自身だし
私は求められたことを伝えただけだ。

ぜーんぶあなたが持っていた力だよ。

ひとつ乗り越えたときの
あの世界が違って見えるような快感を
彼女もきっと体感している。

そんな思いが共有できる素晴らしい仲間。
あなたのこと、誇りに思うよ。

そしてなにより
私をこんなキラキラの気持ちにしてくれたのは
あなたのちからだ。

私のほうが、ありがと。
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いつかこんなことに

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長い間、いつかこんなことに携われたらいいなと思いながら、なかなかそうもいかなかったことがいくつかあった。

今年はそれがびっくりするようなスピードでかたちになっていっている。

なにがかわったかというと
いつかこんなことに携われたらいいな、じゃなくて「携わりたい」になったこと。

あなたは覚悟が足りないとか、おまえはあまちゃんだ、あまったれだ、と言われるたびに「えーっ」って思っていたけれど、まぁ…やっぱりそういうことだったのかしら。

ずっと、なにかを捨ててひとつを一心にやるということに対して二の足ふみながらなかなか思い切れなかった。
それが「うるせぇ、やるからにはぜんぶやってやるんだよ!文句あるか!」という方向にはらをくくれた瞬間があって、そこから色々なことが動き出したような気がしてる。
結果的に、捨てようとして捨てきれなかった時よりもひとつひとつに対してよっぽどエネルギーが注げるようになった。
ちょっとの違いだけどかなりのでっかさだった。

それと
やれたらいいな、のときに自分なりに準備し続けていたことも大きな貯金になっていた。

そーなんだよなぁ、
あきっぽいけど負けずぎらいなんだよな、私。
いいよ、負けずぎらいでよかった!

他人よりも自分を驚かせなさいという言葉は、正直すこし前まで若干のプレッシャーを感じる言葉だったけれど、今はちがう。

今年もまだ3ヵ月ある。
どんなことがおこるかな。

せっかくだもの。
ワクワクしちゃえよ。
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お野菜もりもりプレート

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いきつけのお店で「おやさいがもりもりいただきたいです!」とおねがいすると、シェフが特別に作ってくれる「お野菜もりもりプレート」。

減量中で大好きな黒こしょうパスタがいただけない日々が続いているのですが、この一品をいただくとこころの底から満たされちゃうのです。

この一皿とワインを少々…が、減量中のじぶんへのとっておき。

初めて作ってもらったとき、盛り付けの美しさにそれはそれは感動しました。
そしてその感動は、何度オーダーしても毎回新しく生まれてくるのです。

だってやっぱめっちゃくちゃきれいじゃん!!!

減量始めて2週間。
おいしいものが恋しくてくじけそうになる時期。

おあじはもちろん最高だけど
お皿にこめられたきもちがジーンとつたわるよ。

わかってるなぁシェフ。
だいすきさ!

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仲間との練習

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俳優仲間たちと一緒に練習することが増えた。

これまで訓練といえば
基本的に自分ひとりでやってきた。

正直
練習することをひとに頼りたくないと思っていたし
練習するところをひとに見せるのがとても嫌だった。

根幹にあったのは
「仲間」を信頼することへの恐怖だった。

そう思うようになったのは
大切な居場所だった劇団の変貌をまのあたりにしたときだ。

今おもえばあの時期は
だれもにそれぞれの事情があって
それぞれの夢があって
それぞれの正義があって
それぞれの苦しみを抱えていたから
ああいうことになったんだと納得できる。

でも
それらを俯瞰して見られるほど私は大人ではなかった。
強くもなかった。

恩師が亡くなったことも
仲間がだいすきだったことも
最高に楽しかった作品づくりも
思い出にするほど辛くてせつなかった。

傷ついたことをひとに知られたくなかった。
いや、自分で知りたくなかったんだな。

ひとつ自分のことを知ると
紐がするっととけるみたいに不可解だった自分の行動が理解できるようになるということを学んだ。

さいきん不思議なくらい周りのひとたちがやさしい。
仲間の真っ直ぐなことばに何度も救われる。
目頭が熱くなる。

みんながやさしい。

自分でも驚くようなやわらかい音色で
ありがとう、ということばが
ほろっと口からでてくるようになった。