昨今、よく言われる
多様性
つまり
簡単に言うと
人は人
自分は自分
コセコセ言うな!
ってことでしょ?
政府は移民政策も
多様性で片付け
会社でも多様性!
だから上司は部下に
ビクビクしながら
普通に注意もできない
らしい・・・
知らんけど

私にしてみりゃ
今更、取り立てて
多様性とか
言うこともない
元々、人は
多様なんだから
と思うのである
先日記事にした
結婚後の休日の過ごし方も
この多様性と繋がる
で今日言いたいのは
多様性多様性と
騒いでる割には
それに則って
変わるべきルールが
そのまま放置されてない?
ってことだ
色々あるだろうが
まず簡単なところで
一つ
小学校の
宿題である!

うちの孫も小学生
小学生と来りゃ
『夏の友』とかいう
復習ドリル
そして
作文
これ変わらんよね
もう日本古来の
年中行事でもある
ドリルは
学習したことを
復習する意味で
意味があるとは思う
問題は作文だ
文章を作成するという
目的のためだと思うが
その内容が多様性に欠ける
私の経験で言うと
どこの子供も
作文と言えば
夏休みどこへ
旅行に行ったか
どこへ遊びに行ったか
そればかり書くのだ
そして
その作文のために
親は子供をどこかに
連れて行かないと
作文のネタがない
と言う義務に負われる
なんじゃそりゃ
と思うのである

私は海外で
子育てをしたことがないので
海外の学校に
夏休みの作文
なんてくだらないものが
あるのかどうか
知らんけど
元々海外では
夏休みに
宿題なぞないのでは?
と確信している
休みは休み
勉強は学校でするもん
休み中もしたけりゃ
自主的に勝手にやれ
でそれをいちいち
教師に見せることもない
だから
教師の仕事も少ないはず
日本もそれでいいやん
大人社会が
多様性多様性
と曰うのであれば
大人の予備軍である
子供社会にも
多様性を盛り込むべき
そのために
固定観念化した
ルールは変えて行くべき

特に
意味不明な
夏休みの
作文!
どこそこへ行ってきました
すごく素敵なホテルに泊まって
美味しいご飯を食べて
すごく楽しかったです
また来年も行きたいです
とか言う
まるで人に見せるために
いいことばかりを書いた
夏休み定番の作文は
もうそろそろ
やめにしませんか?
と思うのだが
どうかな?
そんな
家庭事情自己申告
みたいな
作文はやめにして
文章作成能力を養う
というのが目的ならば
小説を
書かせれば良い!
SFでもいい
ホラーでもいい
恋愛でもいい
童話でもいい
これって
すごく楽しいやん!
なんなら
挿絵も自分で描くとか
ええやん!
人間
自主性と
創造力やろ!
下手でもいい
人と同じでなくていい!
自分は自分
これが
多様性だろ!
朝顔の観察?
毎朝のラジオ体操?
毎日天気を絵日記に?
もうこれって
ほとんど嫌がらせやん
で、決定版
夏休みの作文
これはもう
そろそろ
変えて行くべき
ルールじゃないかな?

どこかへお出かけ
それを作文にする
それができてないと
はみ出した感覚?
日本人の同調意識が
子供の頃から
こうやって植え付けられる
みんな同じ
家族旅行の作文?
それよりも
小説を書け!
童話を描け!
創造力を養え!
みんな同じなわけがない!
それが多様性なんだよ
おしまい
ニューバランスは
軽くて履きやすい
