お裾分け(からの思う事小話風 | あんなことこんなこと〜日々のこと.Part2(アラフィフからの再婚と田舎暮らし

あんなことこんなこと〜日々のこと.Part2(アラフィフからの再婚と田舎暮らし

アラフィフで再婚。生まれ育った東京を46歳で離れて田舎暮らし。自然に囲まれた地方の大量に飛散する環境(臓器草花花粉真菌昆虫成分PM2.5など)アレルゲンに通年さらされ、一年後に複数重度の食アレも発症。アレルギー除去生活なども綴ります。

ご近所さまからお芋をいただいた。

自然の恵みのお裾分けに感謝をする静岡に来て13年。当初は冬の概念が木っ端微塵に吹き飛ぶほどの温暖な土地に面食らいつつ、ご近所様が揃って畑仕事を趣味にされていていつも美味しい野菜やお惣菜をお裾分けいただくという天国のようなシュチェーションと、仕事打ち合わせと称した里帰りで音楽スポーツ美術鑑賞等趣味も続行し、田舎ののどかさと故郷の便利さと刺激の良いとこどりを謳歌していた。ところがちょうど一年目に大自然は凶暴なのだと思い知らされる顔面崩壊事件が起きた。顔面皮膚がドロドロと剥がれ続け表皮を維持できず、私はあの有名な腐った巨神兵となった。原因は都心にはない雑木草花花粉昆虫成分動物真菌類紫外線他様々アレルゲンとそれが引き金になった複数重度の食物アレルギーを発症したからだ。その後は大量の投薬による副作用と不要不急の外出禁止で運動不足になりあれよあれよと巨大化の一途を辿った。完璧な巨神兵爆誕である。私は自然軍団に完敗し家中に撤退、籠城のプロとなった。窓も開けず敵の侵入は一切許さない。アレルゲンが休みなく大量に舞う野外に出るのは例えるなら伊賀越え、命懸けだ。籠城とアレルギー除去食のおかげで皮膚炎症は治り、巨神兵から一年絶たずしてチー牛に変化した。
以降は一歩進んって一歩戻るの膠着状態で長くチー牛を保っていたのだが、昨秋からかめやまさんの出張が長引き、人として危うい次の段階に足を踏み入れようとしている。誰とも接触しない声も発しない動かない私はソファーに蠢く巨大な何かに変態してるのではと不安になる。カフカの小説が頭を過り戦慄したが、私には変身の主人公とは違い神様がついているようで、この人間擬から正気に戻してくれる存在こそが冒頭のご近所さまの訪問だ。
久しぶりに声を出すとヒューっという変な音がでてしまい恥ずかしく感じたりするので、人間らしさが残っていたと安堵する瞬間だ。ご近所様も私の様子に毎回ギョッと怯んでいるように見えて、もしかすると薄気味悪いチー牛の様子を交代で見張るために貢物持参で不意打ち訪問をされているのかもしれない。それにしてもこの13年でみな様お年を召され、趣味の畑仕事も年々キツくなってきているようにお見受けする。貢物…いや、お裾分けはいらないので元気に長生きしてほしいと切に願う。

もうひとつ私を人間に戻してくれるものがある。友人達の不意打ちだ。
相談があるとえらくパニクった高校時代の友達から6年ぶりぐらいの電話があった。声を発していない状態に嬉しさも上乗せされヒューの変な音にぷひゃっという化け物のような声まで出てしまい非常に気まずかったが、友もパニクって私以上におかしな声を発していた。声がバグるという現象をリアルに体験した。幸いに相談事は勘違いからくるものだったが、久しぶりの会話に「少々狂っているのは私だけじゃないな」という安堵感があり、それは友の話し方からも感じとれた。と思う。のはずだ。
私の友人はみな様子が変わった者が多い(注意:褒めている)。魑魅魍魎が人間に擬態したかのような友人達は(注意:最高級に褒めている)、だがしかし妖怪のように不死身というわけではなく、若くして1人かけ、2人かけ、3人かけ・・・当たり前にいたはずの場所に空席があるととても寂しい。多少ネジがぶっ飛んでいようとカフカしちゃったとしても、檸檬しても(注意:素敵な楽曲の米津玄師氏ではなく、 病に苦しみながらも酒癖が悪くラーメン屋の屋台をひっくり返したり料理屋の掛物に唾を吐きかけたり焼き芋屋の釜に牛肉を投げ込んだり店の池に飛び込み鯉を追っかけたなど数々の武勇伝を持つ梶井基次郎の方の檸檬)、元気にぶっ壊れた様を時々私に披露して欲しいと切に願う。

それにしてもご近所様からお芋をいただいただけでこの長文。
我ながら狂気すぎて友達にはなりたくないタイプだ。