当時も思っていたけれど
ふれることができるときに ふれあえたこと
高校生だった息子と
ことばだけでなく会話できたってよかったなぁ
と思います
息子のからだの反応をみることを繰り返すことは
私の思い込みで決めつけないで
息子を みる きく
とてもいい練習でした
親子だからといって
同じ人格でも 感性でも 価値観でもない
離れて暮らす今は
短いメッセージのやりとりをするぐらいですが
たまーーーに
電話で話すこともあります
からだにふれることはできませんが
息子の暮らしをきく
息子の考えをきく
息子の想いをきく
息子の声をきく
からだにふれることはできませんが
そのまま きくことで
存在にふれていると感じられるのかもしれません