軍艦島(端島)上陸 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

天候に恵まれ
上陸できた軍艦島(端島)

廃墟となった島の建物のようすを
テレビで見ていて
実際に行ってみたいと思っていたことが
叶いました




良質な端島炭坑の石炭はとても良質で
「最盛期の1960年には
約5300人もの人が住み、当時、日本一の人口密度を誇っていました」


「海底1,100mでの採掘は
年中気温30度以上 湿度90%以上
粉塵が舞い いつ落盤するか 爆発するか
という過酷で危険な作業だった…」


仕事を終えた坑夫は
全身真っ黒なので
服を着たまま海水のお風呂に入り
服を脱いで海水のお風呂に入り
最後にきれいな状態でお風呂に入ったそうです



実際に軍艦島で暮らしていたと話されるガイドさんは

「軍艦島の負の部分が伝わることが多いけれど
治安はとてもよくて
私はその部分も知ってもらいたい」

と語られていました


「昭和20年
敗戦の年に
あの鉄筋コンクリートの建物ができたんですよ!
すごいことじゃないですか?」


日本の物資が底を尽きていた時代に

建設されたということは

それだけこの島での炭坑が重要だったということなのでしょうか









軍艦島から長崎港へ向かう復路では
満席で座る席がなくて立っていた私を
手招きして隣に座らせてくださったのが
先ほどまでツアーガイドをされていた女性でした


「転勤で赴任したとき 私には一歳の赤ちゃんがいたんだけど
一般家庭は共同浴場でね

『ゆっくりお風呂入っておいで
赤ちゃんは見といてあげるよ』

と出会ったばかりの島の方々が
やさしく迎えてくれた

うれしかったぁ…」



「通路は建物内の廊下だから
いつも誰かが通っていて
悪さなんかできない

何かを盗んだって逃げるところなんてない

家に鍵をかける人なんていなかったのよ」



ツアー中のガイドは
タイムキーパーさんがいて
時間内で話さなければなので

「あれも言いたいこれも言いたい…のに
話忘れた」

と話し足りなかったことを
船のエンジン音と周りの音でかき消されてしまうので
私の耳元に顔を寄せながら
聞かせてくださいました



「世界遺産になって
また上陸できるようになって
ガイドを募集してるって聞いてね
検定試験を受けたのよ
この仕事ができるようになって
わくわくしたのよー」

「どこから来たの?
広島?
長崎とはきょうだいみたいなものね」


船を降りる前に
記念に一緒に写真を撮らせていただきました




「おばあちゃんだからねぇ…」
と言われていましたが
とても明るい笑顔がすてきで!

お顔は出されることをためらわれていたので
スタンプを😊






実際に上陸した島は

建物の密集具合の圧迫感がありました


台風のときは

島全体が波をかぶっていたそうです


逃げるところはないし

自然の猛威がどれほどだったことでしょう



労働者はの待遇は かなりの優遇だったそうですが

海水はあっても真水がない

物資も高いものから売れていくほど

お金はあっても買うモノがないこともあったそうです



高給ではあったとしても


日々 危険な仕事に向かうひとも

送り出すひとも

どんな気持ちだったのか



海底奥深くで危険な作業をする

夫や息子を送り出す気持ちを

想像していました