私が何を大切に想っているのか
何に生かされているのか
を見つけたかったようです
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観てきました!
「夜と霧」 は まだ読み終えていないのですが
上映期間内に観ておかないと!
というのと
母と一緒に観れたらいいな…
と 母を誘って行ってきました
「第2次世界大戦が終結した1945年。シベリアの強制収容所では、ソ連軍の捕虜となった山本幡男(二宮和也)ら多くの日本軍兵士たちが収容されていた。わずかな食料しか与えられず、零下40度という過酷な状況下で重労働を強いられる彼らに、山本は「生きる希望を捨ててはいけません。帰国の日は必ずやって来ます」と訴え続ける。…」
映画公式サイトのあらすじ より
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映画のあらすじはだいたいわかってはいたものの
「息子」と「母」のそれぞれの想いが感じられる場面では
マスクではおさえきれず
タオルを口にあてて
しゃくり声がもれそうになるのをこらえていました
戦争に息子を送り出す…
いったいどんな状態なんだろう
行きたい学校に行くために
家を出て生活するのとはわけがちがう
したいことをしている息子を見送るときですら
私はどうしようもない体感におそわれることがあるのに
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「夜と霧」での収容所の描写は
ひとが暮らせるような状態ではない凄惨なものです
それだけに
「ラーゲリより愛を込めて」の映画では
生活の場所も着ている服も小ぎれいさを感じたので
「実際の状態を再現することは ひどすぎてできないんだろう」
と母と話していました
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もうひとつの母と同じ思いだったことは
「(あの状況におかれたら)生きる気力をかんたんになくしてしまうだろう」
でした
それでも あの状況から生還しているひとたちが実際にいるんですよね
「夜と霧」でも「ラーゲリより愛を込めて」でも
自然と笑いと「愛する人間との精神的な対話」が
人間であること 希望を持ち続けることを 失わせなかった
その凄惨な状況を知らない私には 想像することもできませんが
「愛する人間との精神的な対話」は 今の生活のなかでも
無意識にしていることだと思い出しました
今夜の献立を考えるとき
家族の喜ぶ顔や声を思い浮かべる
そんな生活のなにげないことも
「愛する人間との精神的な対話」
私の今の生活も
自然と笑いと「愛する人間との精神的な対話」に
生かされていました
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読んでいるとお腹が痛くなるような本
しゃくり声をおさえながら観る映画
これらの史実から私は何を見つけたいのだろうかと思っていましたが
私が何を大切に想っているのか
何に生かされているのか
を見つけたかったようです