「ひとり生活」を始める息子が
広島のこの家を発つ前に過ごす最後の日
ふたりで一緒に食べようと
ケーキを買ってくれていました
(ケーキ代の出どころは追求しないでおきます)
***
息子の進学や引越の手続きなど
未成年の本人だけではまかりとおらないところがあるので
夫や私が携わることはあります
…それにしても
本人の荷造りをするペースと私が思い描くペースがちがうので
側から見ていると
「何をやっているんだろう?」
「いつとりかかるんだろう?」
…な 焦(じれ)ったくなる場面がたーーーーーっくさんありました
私のことではなくて息子のことなのだから
放っておけばいい話なんだけれど
なぜか私がざわついてしかたなくなる
この反応はいったい何なんでしょうね?
「かあさんは 『ちゃんと』計画するけぇ
ひとつ 計画通りにいかんかったら
全部が崩れるんよ
で 焦って怒りだすんよ」
と 息子が言っていましたが
私の計画通りに進まないときの反応は
実家の父の姿を連想します
ちょうど今
ジーンキー『遺伝子易経』の『ビーナスの旅』で
8歳〜14歳の頃のことを観照しています
その頃のできごとが 私に影響を与えていて
私の反応を引き起こしていることがあるかもしれない
私は 息子が言ったような私のことを
心地よく感じていません
計画通り進むかどうかに深刻になったり
まじめくさったりするより
起きていることを楽しみたい
だけど
計画通りに進まないと焦って怒り出すことがある
そのくりかえすパターンは どんなできごとからきているのか気がつくと
もしかしたら 私の心地いい捉え方に変わるかもしれません
経験や立場や環境や時代…
身を守るために
認められるために
信じ込みのために
まとってきたものを下ろすと
私が今生 生まれてきた魂に出会えると思っています
私のそのものの魂は どんなものだったのか
死ぬまでには出会ってみたくて
タッチフォーヘルス や禅カウンセリング
そしてジーンキー『遺伝子易経』などを
やってみているのでしょう
自分で作り上げている自分に気がつくとき
がくぜんと幻滅することもありますが
そのあとは 「これが私なんだな」と
不思議な安心感に出会えます