「いま十分に心が満足して自分に安心できているとしたら」? | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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東洋医学と西洋医学を融合し
陰陽五行理論とからだの反応をもとにした
キネシオロジー(筋肉応用学)を使って
無意識のからだのストレス反応を
意識的に変えることで
気づきと健康に役立つサポートをしています

 
「楽になったら 次は 何をしたいか」
 
前回( ⇒  ) と 前々回( ⇒  ) からのつづき
 
 
の質問に答える前に
またまた やって来た次の質問
 
 
「いま十分に心が満足して自分に安心できているとしたら
 
たえちゃんは何を思うんじゃろうね
 
満足と安心を十分に感じてみて、また教えて」
 
 
まるで
カウンセリングを受けている?
目標設定してからのバランス調整?
を しているようだ
 
質問を受けるたびに 「・・・うっ」 と 答えにつまるし
答えなければならないわけではないけれど
自分のために 自分に問いかけておこうという気持ちになっているみたいなので
今の答えを 探してみる
 
 
 
 
「楽になる」
 
「十分に心が満足して自分に安心できている」
 

というのが

そもそも 「自分にはあり得ない」「自分はその状態になれない」

と まだ想っている・・・っぽい?

 

 

・・・まだまだ そんなことを 想っているのか

 

と 驚きもするし さもありなん な 感じもする

 

 

楽になっちゃいけない

満足しちゃいけない

安心しちゃいけない

 

 

・・・なんで?

 

 

そこで (成長が)止まるから

バカになるから

何が起きるかわからないから(対処しないと、準備しないと)

 

 

・・・みたいな?

 

 

いろいろと 突っ込みたくなるな

(成長 って 何なんよ? 

今は バカじゃないのかよ?

何が起きるか わかるのかよ?)

 

 

 
 
「楽になる」
 
「十分に心が満足して自分に安心できている」

 

としたら 何を思うか?

 

 

 

 

頭で考えず 体感のままに表現したい・・・と 思う

 

・・・かな?

 

 

 

これ 安心して さらっとできたら うれしいなぁ・・・!!

 

 

 

 

不安になって 「やっぱり こうしよう、ああ言おう」

って しちゃうもんな

 

 

初めに感じた感覚を 表現するの

実は こう感じているっていうのを 表現するの

 

怖いことあるもんなぁ

 

 

怖いことある というより 怖いことばっかりじゃないか?

少なくとも 怖かった よね

 

 

 
だから 無理してがんばってたことが いっぱいある
 
 
 
 
「楽になったら 次は 何をしたいか」
「いま十分に心が満足して自分に安心できているとしたら
たえちゃんは何を思うんじゃろうね」

 

 
「自分の体感を さらっと信じて(標準設定で) 表現している」
 
 
 
これだと おもいます
 
 
・・・あれ?
あんまり方向性が変わらないな?
 
 
 
自分の体感にこたえることを やり続けるんだろう
自分の体感にこたえることを やり続けてみたいんだろう
(びびりながらだろうが)
 
やっていかないと やった先でないと 
わかんないんだろう
 
今の私には わかんないよ
 
 
 

どうやったら 体感にこたえて表現できるかな
どこが 体感にこたえてないのかな

そんな 自分になぞなぞして
遊んでいるんだろ?


どこかに 到達することじゃなくて
過程(プロセス)そのものを
あじわいたいのだろう