望郷の父・・・4 父の背景「青年期」 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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望郷の父・・・目次


そんな父の「がんぼ」っぷりが 功を奏したのか、災いしたのか

父は 中学を卒業すると、親元を離れて 街の高校へ進学することになった

今の世でも 仕送りしながらの進学は 家計の負担が大きくなる?(よね?)

当時の父の生家でのそれは かなりの負担となっていたらしい

それでなくとも、祖父は「本家」の「家長」として

自分の家族の食い扶持だけでなく、分家の生計の一端も担うところがあっただろう

本業の農業だけでなく、当時の流行りなのか 映画館の営業もしていたらしい

父は、「そこまでして 学費を出してもらった」 というより 「厄介者として追い出された」という気持ちの方が根強かったようだ

父の記憶や感情には そう残っているようだが

長男の叔父は 祖父のあとを継いで、その地に縛られることになるわけだし

三男の叔父も 父のように 高い学費と生活費を出してもらわず 地元の高校に行ったわけだし

三兄弟のしこりは それぞれに違ったらしい

祖父にしても、父に手を焼いたということもあるかもしれないが

同時に 父に 山や田畑を分けてやれないのなら、生計を立てていく術を身につけさせてやりたかったのではないか

実際のところはどうであれ

父は 「おばあさんは ともかく、おじいさんに 何かしてもらったことはなかった(大切にされたことはなかった)」と いまだに 話すことがある

高校生の父は (たしか)あるお宅に間借りの下宿をしていた(?)

そのお宅の娘さんが たいそう勉強のできる方だったらしく

勉強の苦手は父は 彼女を尊敬していたのだろう

のちに生まれた自分の三人の娘のひとりに その娘さんのように賢くなってほしいと

その方の名前をいただいて 名付けた

下宿先での父は、いつも ひもじかったらしい

バレーボールをしていたので、そのシューズを買うから とか 教科書を買うから とか

偽って、田舎の親元に 仕送りをお願いしては

パンを買っていたらしい

学費と生活費を苦心して送ってもらっていることは 痛いほどわかっているのに

それ以上のものをお願いすることは つらかったようだ

ひもじかったのは 空腹のせいだけではなかったのかもしれないが